2012年11月3日土曜日

雨のナイロビ

昨夜は一晩中、雨が降ったりやんだりしていたナイロビ。雨季に入ったような感じがします。

マサイマラでも数日前に雨が降ったそうです。少し変なのはタンザニアとの国境あたりにかなりの数のヌーがうろうろしているそうです。タンザニアでの降雨が遅れている場合は移動も遅れ気味になりますので。
ホテル代の安い11月を狙って旅行を計画した人たちは予想外のヌーの大群のお出迎えを受けるかもしれません。

2012年10月31日水曜日

霧のような疑念

今月の最後はやっぱり山頂からの眺めで締めたいと思います。ここまで来ると植生も少なく地衣類ばかりになります。

エチオピア最高峰であるラス・ダッシェンは通常4,620mと表されますが、科学的な方法で調べると実際は4533m程度に落ち着くらしいです。私の携帯したGPSは4,530mを表示しました。
しかしそれが事実だとするとアフリカ第四峰の地位をタンザニアのメルー山に奪われてしまうので、アフリカ一誇りの高い民族にはたぶん受け入れられないはず。ここはひとつ大人の対応が必要とされる山なのです。

2012年10月24日水曜日

増えてるホテル

国連やNGOが値段を吊り上げているナイロビのホテルですが、このところ建設計画が続けて発表になりました。値下げにつながって欲しいものです。

すでに建設が始まっているのはあのケンピンスキー。タンザニアに3軒持っていたのですが最近全て売却したので東アフリカに興味ないのかと思っていました。市内と繁華街の間にあるので眺めや庭は無さそうですが敷地内は豪華にまとめてくるでしょう。
ラディソンは建設予定地に看板だけ立っています。クラウンプラザのあるアッパーヒル地区です。アコーホテルも計画があるそうです。ドバイを本拠にするアドレスホテルもナイロビとマサイマラにホテルを建てたいそうです。投資家は大統領選挙後も政府が転覆することはないと考えている表れだと思います。

2012年10月23日火曜日

いやはや超人だ


エチオピア人は登山中のランチにも手を抜きません。
この日は山頂を目指す日で朝の4時出発でした。コックさんは簡単な朝食で我々を送り出した後、日の出前にも関わらず圧力釜でスパゲティを作り、それをアシスタントが釜ごと担いで山頂まで運んできてくれました。おかげで温かい食事と美しい風景を同時に楽しむことができたのです。
下山開始後、空になった釜をかつぐ彼の姿は泳ぐように先を行き、結局我々よりも何時間も前にキャンプに帰着していたのです。

2012年10月22日月曜日

全部のせ中盛り

首都から数百キロ離れた、登山ルート上で最後となる町にあった食堂でも同様の料理が食べられる点においてエチオピア文化はすごいと感じました。この地域ではテフという穀物が育たないそうで、そのせいでインジェラに含まれる酸味が弱かったのが僕らの口にも合った理由でしょう。写真はミックスプレートというメニューで、お皿の上にインジェラを敷いて、その上に各種の料理をちょっとずつぶっかけて、手でインジェラをちぎっては具といっしょに口に運びます。

2012年10月21日日曜日

味の店、エチオピア

豊かな歴史を持つエチオピアが食文化においても周辺諸国を置き去りにしているのは当然です。
口にした人々の心に残り、拡散し、受け継がれていく味というものは、私が思うにルイ16世や始皇帝が命じて作らせたようなトップダウン方式か、または江戸時代のような成熟した市民社会が生み出す寿司のようなロングセラー商品のどちらかなので。

日本の主食が炊きたてご飯ならば、エチオピアではこのぞうきんみたいな見かけのインジェラです。雑穀を発酵させてプツプツ穴が開いた生地をクレープみたいに焼き上げます。主菜は牛、野菜、鶏肉などを煮込んだり焼いたり、まさかの生でユッケ風にしたり、工夫とバリエーションが見られます。写真はヒヨコ豆のペーストをひき肉と煮込んだシロという料理です。

2012年10月19日金曜日

首ったけエンジェル

古都ゴンダールの教会の屋根には褐色の肌を持つ首だけで飛び回るという天使の画がいっぱいに描かれています。300年の長きに渡ってその美しさは失われていないとか。

登山中に出会った子供達は、胴体こそありますが、お顔は天使にそっくりでした。特に白く輝くおでこと頬が忠実に再現されていることに気づくはずです。羊にヘッドロックはほどほどにしてあげてほしいけども。

2012年10月18日木曜日

サイの国

エチオピアをちょっと離れて南アに飛びます。
サイの密猟のペースが昨年よりも早いそうで、すでに455頭が密猟者によって殺され、この数はすでに昨年の総計をうわまるそうです。妊娠期間が16ヶ月ですし性成熟も遅いのでこの損失をカバーするにはどのくらいの年月が必要になるのでしょうか。

2012年10月16日火曜日

チェネック村

登頂も終えてあとは車で山を脱出するだけになった日の朝、散歩に出ると子供達がままごとをしていました。
ペットボトルを赤ちゃんに見立てて背負ってみたり、そこらの草をちぎって空き缶に入れてご飯にしてみたり。早朝にはお姉ちゃんなのか、20リットルくらいのタンクに水を汲んで運んでいた姿を見かけたので、お手伝いの後の遊びの時間だったみたいです。

2012年10月15日月曜日

隣の晩ごはん

2日目のキャンプ場の手前の村。カメラが好きな子とそうでない子がいるのは当然ですね。

この地域に足を伸ばす目的を登山だけに設定してあるならいろんな意味でキャンピングがベストアンサーです。一方で同時に地元民との交流も視野に入れるなら途中の何泊かを民家におじゃまして寝床(文字通り冷たい床もありうる)や夕飯をシェアすることも可能だそうです。きっと忘れ難い一晩になるでしょう。ダニと南京虫との交流が必ずおまけでついてくる点で私は今回は遠慮しました。

2012年10月14日日曜日

スマイル0円

おおげさな装備で私があるいた登山ルートは、地元の人にとっては単なる生活道路に過ぎません。山頂アタックの日でさえ、日曜だったので、山の向こうの市場に買出しにいくという人々にどんどん追い抜かされていました。

ルート上では頻繁に道端やカーブの向こうに物売りの少年が突然現れます。我々の姿を尾根の向こうに見つけ、土産物を手にして待ち構えていたのでしょう。品物はこういう小さい箱から毛糸の帽子、牛の角で作ったショットグラスなど。接客?態度も控えめで遠くの村から来た、などと聞かされるとつい財布に手がのびるのです。

2012年10月13日土曜日

オラが村

まあ急峻な谷が限りなく続く山の中に1週間いたわけですが、エチオピアの山のすごいところはそのどこにでも人家があるって点です。

展望の開けたポイントで休憩して景色にひたっていても、絶対民家やトタン屋根が目に入ります。世界と隔絶しているような丘のてっぺんにも家と畑があったりします。マサイマラの人家と違って嫌な感じは決して受けません。

農業と放牧に適した豊かな土地が最初にあって、そこにずっと前からヒトが住みつき生活を営み、20世紀に北米から輸入された国立公園という概念を借りたまではいいが居住者は追い出さなかった政府の優しさ。そういったものがごちゃまぜになって私の眼前に提示されただけだったのですから。

2012年10月12日金曜日

ひとつ屋根の下

エチオピアの中央部から北部にかけては3,000メートル級の山々が連なっていて、このあたりを「アフリカの屋根」とも呼ぶこともあります。大陸のちょうど中央の位置にもあたるし、植民地になったこともなく気位も高い国民性なので、アフリカをまとめるというイメージにも合致するのは単なる偶然でしょうか。
明確な身体的特徴を共有する(肌が黒っぽい)10億人余がひとつ屋根の下で仲良く暮らすことを理想とするのがAU(アフリカ連合)ならば、あんちゃん役は誰だろう。カダフィ大佐が最も近づいたけど殺されちゃったし。ウガンダ大統領も結構いい線いける。長女役はたまに発言が暴走するジンバブエがいいでしょう。ケニアは個性に欠ける、というのが私の意見です。

2012年10月11日木曜日

きまぐれサンセット



2連泊したギーチキャンプ(海抜3600m)の夕暮れも印象的でした。

ここに来るまでにひねってしまった右足を椅子の上に放り出してページを繰るオランダ人、そして彼の泊まる山小屋。

夕焼けと濃霧が一時にやってきた2日目のキャンプ場の空には羊をねぐらへと追う子供らの声がしばらく響くのでした。

2012年10月10日水曜日

エチオ的サンセット

エチオピアにいたのはたった10日間でしたが、夕焼けをじっくり見る機会が随分あったように思います。空気が澄んでいるしケニアよりは高緯度だから光線が斜めに入ってくる感じも好ましかったし、なにより自分の体調と周囲の自然との両方に耳を傾ける毎日だったので神経もいつもより研ぎ澄まされたんでしょう。
登山2日目のキャンプ場、青黒い空と羊飼い。あるいは最終日のキャンプ場。山小屋のスタッフと彼らの子供達の背を照らす最後の夕陽。どちらも忘れがたい色味です。

2012年10月9日火曜日

カナリア軍団

登山中にはかなりの数の小鳥を見かけました。こちらもその中の一羽でエチオピアの固有種だそうです。

今回は自分としては初めてなのですが、300mmのレンズとボディ(キャノン製、合計重量約2キロ)を登山中にずっとたすきがけして運びました。鳥を撮るには望遠としては不足なのですがこれ以上重いと嫌だなぁと正直思う半面、今回の同行者はもっと重いオリンパスをしかも2台携行しての登山だったのですごい人だなあと後ろ姿を見ながら思ったのでした。

2012年10月8日月曜日

狼(の餌)

お次はぐっと小さくなってネズミ様。登山4日目のキャンプサイト以降にずいぶん見かけるようになりました。地中に掘ったトンネルの中で暮らしているようでした。大きさはハムスターより一回り大きいくらい。

本音はこのネズミを主食にしているエチオピアオオカミを見たかったのですが残存個体数は50頭以下と聞いていたし、やっぱり見かけることはありませんでした。数年後には地球上からいなくなっているかもしれないこのイヌ科の動物を救うには観光化と政府主導による住民の教育しかないと私は思うのですが。

2012年10月7日日曜日

ハシブト市長

この巨大カラスはエチオピアとエリトリアの1200m以上の高地にしかいない点が希少です。いつもペアでキャンプ場の周りをうろうろしている点、愛らしいのですが鳴き声がひどすぎます。うがい中か二日酔いのおじさんみたいなのです。ガラッガラッって。
英名を直訳するとクチバシの太いカラスですが、日本にはちゃんとハシブトカラスという鳥がいるので、和名をなんて付けようか考え中であります。

2012年10月6日土曜日

羊が食事

この翼長2mを超えるハゲワシの仲間を見たいのなら2500m以上の山に登らないといけません。努力しなきゃ成功はない、と繰り返した中学の担任の言葉を初めて実感しました。

ラマーガイアー、独語で子羊を食う鷲の意、は英名ではヒゲハゲワシという情けない形容になりますが、飛翔中の姿は正に空の皇帝。しかも動物の大腿骨などを上空から落として砕き、中の骨髄や骨そのものも食べるという賢さも合わせ持ちます。
幸い登山中の私の頭の上に骨は降ってきませんでしたので今こうしてパソコンの前に向かうことができているわけです。

2012年10月5日金曜日

非暴力猿

登山中は何度もこのライオンのようなタテガミを持つゲラダ・ヒヒに会いました。

体は寒冷地に住むからでしょうか、ケニアの親戚よりも大きく、胸の赤い模様(地肌)が特徴的です。5センチ以上の立派な牙を持つ割に食性は完全に草食です。

撮影は容易ではありませんでした。というのも自然環境は生き物の性格まで規定するのでしょうか、エチオピア人と同じでこの猿もとってもシャイ。カメラを構えつつ近づくと逃げることはせずにくるっと背をこちらに向けてうつむいてしまうのです。人間に背を向け無防備な状態なのに悠々と地面の草を食む後ろ姿に私はこの国の懐の深さを覚えずにはいられませんでした。

笑ってる場合です

このゲラダヒヒですが、似たような猿の仲間よりも社会構造が複雑だそうです。声(言葉?)のバリエーションが27種類もあるとか。

お互いの上下関係を確認するため、日々の毛づくろいが欠かせないのはもちろん、時折写真のように「笑う」こともあるそうです。実際は笑うというよりは歯ぐきをむき出しにして牙を一瞬見せつける行動なのですが、これでお互いのコミュニケーションを図っているそうです。

日本では出っ歯ですとイジメの対象になりえますが、エチオピアに来るとパラダイム転換により人気者になれる可能性大です。

2012年10月4日木曜日

山の山羊(ヤギ)

自慢の角は1mに達することもあるというこの美しいエチオピア固有のヤギの名はワリア・アイベックス。体重120KG。

BBCのドキュメンタリーで存在は知っていたので登山中も探していたところ、5日目にようやく山腹にその姿を見つけました。体は家畜のヤギよりもがっしりして毛深く、おひげは立派。年老いて群れから離れて暮らす雄のようでもありました。自然、子供の頃に読んだシートン動物記の勇敢なヤギ(後で調べたらあちらは羊だったんですけど)を思い出したのです。

かつては全土で見られたものの乱獲によりその数は激減し、今では北部にある世界遺産の国立公園のさらに人間が近づかない急斜面でひっそり暮らしているそうです。まさに崖っぷちの絶滅危惧種なのでした。

2012年10月3日水曜日

アビシニアン、しかし猫ではなく

さてエチオピア。かつてのアビシニア。

今回の旅の目的のひとつには観光化の現状と将来性の調査もありました。結果から言うと全然OK!詳しくは次の機会に譲りますが。

彼の地で過ごした10日間のうち自然の中にいる時間が結構多かったので、エチオピア固有種も含めていろんな動物に会うことができました。
 体の大きい順に紹介しますとまずはこちらのブッシュバック。ケニアのそれより体が大きくて毛深くて首の下が白かったです。角は雄でも小さめ。パウエル、またはアビシニア種として別種になっているようです。登山1日目の夕方、標高3250mのキャンプ場に出現しました。


2012年10月2日火曜日

教師のスト

ちなみにエチオピアへ出発する前から全国の公立学校の教師が賃上げを求めてスト中だったのですが、戻ってきてもまだやってました。
 
結局、裕福ではない家庭の子供たちを人質にとった要求の大半は呑まれ、先生たちは先週ハッピーな笑顔とともに学び舎へ戻ってきました。信じがたいのは全国テストや終業式などが全て3週間後ろにずれこみます、という政府の発表です。おかしいと思う人、いないんでしょうかね。

2012年10月1日月曜日

8分咲き

先々週まで隣国のエチオピアへ行っておりました。

2週間ナイロビを留守にしてから戻ってみると、ジャカランダがそこかしこで咲き始めていました。ただナイロビセレナ沿いのバレー・ロードはまだまだ。ナイロビ駅周辺は全然咲いていませんでした。木によって咲く時期がずれるのがジャカランダの特徴でもあります。

2012年7月21日土曜日

年間180万人

マスターカードの調査によりますと、アフリカ内の都市を訪問者の多い順に並べるとナイロビはなんと第4位に来るそうです。

ちなみにトップはカイロで300万人以上。以下ヨハネスブルグ、カサブランカと続くそうです。中国人とテロリストの流入をこのまま放置すれば第3位も射程圏内!?

2012年7月9日月曜日

日の出6.26

翌日はちょっと場所が変わってノース・マラ保護区からの日の出。ムパタが建つ崖を下から見上げるような位置関係で、太陽は山影から顔を出しますけどこの日は朝焼けがきれいでした。

ここはマサイマラに南で隣接するのですが管理は別の団体が行っています。土地は平坦で1頭のライオンに車が10台も集まることはありません。ロッジはどこもテントで代表的なのはロイヤルマラ、エクスプロリアン、キチェチェ、カレンブリクセンといった面々です。

2012年7月6日金曜日

日の出6.25

こちらは山の上ホテルならぬ「崖の上ロッジ」こと、ムパタの7号室からの朝焼け。

サバンナをS字状に蛇行する川面が銀色に反射する瞬間は捉えることができませんでした。朝5時から動き出すジャグジーのモーター音はそれでも彼方のマラ川から届くカバの鳴き声をかき消すまでにはうるさくないのでした。

2012年7月5日木曜日

日の出6.24

先週のマサイマラ出張では印象的な朝焼けに出会うことができました。新調したカメラのおかげでもあるでしょう。

こちらはマラトライアングルのある地点。リトルガバナーズから飛び立ったバルーンを地上から追いかけている途中での一枚です。この後すぐにジャッカルの夫婦を見かけました。

2012年7月2日月曜日

failed states

国としての体裁を保ってない地球上の場所、とでも訳すのでしょうか。こちらも年に一度ある雑誌で発表されるランキングです。

ケニアは「危機的状況」にランクされ、ビリから16番目。ソマリアよりましですがシリアや北朝鮮よりひどいそうです。
http://www.foreignpolicy.com/failed_states_index_2012_interactive

そんな国で仕事を続けるには仕事以外の何か信念が自分の中に必要でして、私の場合はこういうゾウさんや風景に(たまに)出会える喜びなのかもしれません。

ジャパン20位

今年も発表となりました。世界銀行による「ビジネスしやすいランキング」。

我がケニヤは3つ下げて対象国183ヶ国の中で109位。パプアやギリシャより悪いけどエジプトやアルゼンチンよりマシだそうです。

調査項目の中でポイントが良いのは金の借りやすさ。細かい調査なしでどんどん借りられるそうです。反対に最悪なのは納税に関する諸手続きだそうです。こういう結果を目にする度にイボちゃんみたいに日本にさーっと逃げ帰りたくなります。

2012年6月29日金曜日

1914年のドイツ

今からさかのぼること102年前のアフリカ大陸は北から南まで丸ごと白人のものでした(エチオピア除く)。そんな視点でユーロ2012を見てみると。。

例えば準決勝に進んだ4チームのどれもがアフリカに植民地を持っていました。1914年当時の最強国はもちろんイギリスでエジプト、ケニア、今のジンバブエ、ナイジェリアを所有。次はドイツとポルトガルがどっこいどっこいでそれぞれタンザニアとナミビア、アンゴラとモザンビークの持ち主でした。南米だけで暴れたと思われがちなスペインでさえ今の西サハラを領有していました。植民地時代に搾取した物的、人的資源を100年に渡り維持、育成した結果のベスト4、とは言いすぎでしょうか。

※写真はタンザニアのバガモヨに残る、1872年に建てられた教会


2012年6月28日木曜日

欧州カップ

フランスを応援していた理由は、こないだ凱旋門の長さにびっくりしたばかりだったので、そこをパレードするチームと群集をTVでもう一度見られたのならば自分の人生の記憶にずっと残るだろうな、という勝手なものでした。

フランスはイングランドに負け、イングランドはPK戦でイタリアに決勝を譲りました。イタリアと私の人生とはこれまであまり実感を持って重なったことはありませんね。オーストラリアで放浪中にシシリーの女の子と友達になって「父親はマフィアみたいなもんなの」って告白されたくらいかな。

2012年6月19日火曜日

GOフランス

ケニアに6年住んでいると「どこが良いですか?」ってたまに一般の人に聞かれます。気候ですねとか、洗濯物がすぐ乾く点ですねって答えるとみなさん微妙な表情を浮かべます。

でも最近もうひとつ見つけました。月に4000円払うだけでユーロ2012の全試合がライブで観られるんです。日本では考えられないでしょう。安さの引き換えに雨が降ると全然映らないんですけどね。

まさかアフリカで?

ナイロビアンの間では最近寒いねぇと言い合っています。赤道直下ですが標高が高いので普段から冷涼なのですけどここ最近はひどい。

朝起きてからもずっと曇天でそのまま夜になりますから冷え込んだまま気温が上がりません。新聞では今年も「冬を乗り切る10の工夫」などが特集されるでしょう。旅行を予定している方は注意してください。

2012年6月16日土曜日

のどごし生

同じキリンでもこちらはボツワナ。コンパスみたいに足を突っ張って頭を下げて水をちょっと含んだと思うとガバっと起き上がります。やっぱり飲みきらない水がシャワーのように飛び散っています。

ぱっと見、飲みすぎて電柱の横で気分悪くなったサラリーマンのようですが決してそうではありません。

一番搾り

水場でキリンを見かけたら、カメラはシャッター速度優先にして飲み終わる瞬間に連写しましょう。

いつも焦ったように一気に顔を上げるので飲みきらない水が滝というか水鉄砲のように飛び散ります。草食動物に生まれると落ち着いて水も飲めないようです。ましてや居酒屋で馬鹿騒ぎしている人間達の気持ちなど全く分からないでしょう。

2012年6月15日金曜日

お国優先

ある一人の大臣の葬式のためだけに明日の朝のナイロビ市内は8時半からよければ渋滞、悪ければ交通機関の麻痺が予想されています。

国際空港へ向かう一本道も封鎖の可能性が高いので朝の便を利用する外国人観光客(外貨を落としてくれるお客様)やケニア人ビジネスマン(ばりばり働いて高額の租税を政府に納めている人種)が被害にあうのは目に見えています。

ケニアに市民社会、民主主義が訪れるのはまず私の生きているうちには無いなぁといつもこういう時に思います。

2012年6月13日水曜日

Lost in Paris

そういえば東京だけでなくパリでもアフリカを感じさせる瞬間がありました。

こちらはシャンゼリゼで開催中の「動物の美」展のポスター。やっぱりライオンです。また凱旋門にはライオンの顔が数え切れないほど彫りこんでありました。みんな好きなんですね、アフリカが。

Lost in Tokyo③

次はおなじみのドトールで見つけました。ウガンダのコーヒー豆が新発売だそうです。

彼の地では蒸し暑いことからインスタントコーヒーに使われるロバスタ種の栽培が一般的でしたが、改良品種でも導入したのでしょうか、新ブランドとして売込み中のようですね。見かけたら試してみてはいかがでしょう。

2012年6月10日日曜日

Lost in Tokyo②

お次は浅草にあるイタリアンレストランの間口にて。

強い関連性はないと思うのですがかわいいから入り口に立たされているのでしょうね。本物はもっとロバっぽい体形ですがこの際目をつぶりましょう。

Lost in Tokyo①

都内を歩いているとふとアフリ感、つまり私にアフリカを思い出させる瞬間が何度かありました。一番にご紹介したいのは帰国時にはいつもお世話になるこちらのカフェバー、365カフェ。

人形町か水天宮から徒歩。マスターとアフリカとはちょっとワケあり。カウンター越しに詳細は聞いてみてください。キリンの置物がお出迎えします。日替わりランチも好評なようですよ。

2012年6月6日水曜日

ミシュ仏ラン:KQ

みなさんの予想どおり最下位はアムス行きのKQ。5キロで200円以下のウガリをなんで数百ドルもする機内で提供するのか理解できません。

ヨーロッパからの旅行者がケニアのまずい料理に飽き飽きして帰国の途にやっと着いたのにまたウガリなんて。。

もしヨーロッパ出張に向かうケニア人ビジネスマン向けに「故里の味もしばらく食べ収め」という意味で出しているとしてもそんなの少数派だし。ハイネケン2本飲んで毛布をかぶって寝ました。

2012年6月3日日曜日

ミシュ井村ン:KQ

第3位はパリ発のケニア航空の夕食。トマト味チキンの付け合せはニョッキでした。これはうまかった。

常に無愛想でいい加減なアフリカ人CAですが、頼んでないのにおつまみのナッツを2袋くれたり、頼んでないのにビールを一度に2缶もくれたりしました。こんなご時勢なのに企業としてコスト削減に取り組んでいないのでしょうか。ただこの行動はアフリカ的ホスピタリティからの発露であることは確かで、到着前の機内からすでにアフリ感がただようって点でGOODと思いました。

ミシュ井村ん:AF

次点はエールフランスです。

食前酒にシャンパンがあるのはさすが。チーズはカマンベール。また食事と食事の間には機内後方にドリンクバーや軽食、粉末スープなどが用意されます。管理側の都合ではなくお客自身の気分で何でもいつでも飲んだり食べたりできるって点において彼の国の徹底した個人主義を感じさせました。

ホットミールはKLに比べたら残念でいつものアルミカバー。パンは乾いたバゲット。チキンサラダは塩っ辛いだけ。コーヒーは泥水みたいな色と香りでした。チョコケーキだけはイケました。

2012年6月2日土曜日

井村ミシュラン:KL

エコノミーの食事ごときでうだうだ言うのは無粋だって意見もありますが、落ち着いて比べてみると大変な違いがあるのです。今回乗った4セクターの中で勝手にランキングしてみましょう。

NO1はKLM。ホットミールがいつものアルミ箔じゃなく、プラスチックの器ときれいな印刷がされたフィルムでフタがされている点でおしゃれだし美味しそうに見えます。実際、ジェノベーゼのペンネはおかわりしたいほどの味。パンはどこよりもしっとり、香ばしい。デザートはチョコがけのシュークリーム!

KQ: CDG/NBO

パリから最後のセクターはケニア航空。一応パーソナルTVつき。日中の移動になったので窓からアルプス、シチリア島、地中海などの景色が楽しめました。

ナイロビの空港は出発でも到着でも関係なく乗客はごっちゃになっています。出発客のふりをして免税店でジョニ赤を買おうとしたのですが今回はチケットを見せることになり失敗に終わりました。以前はOKだったのですが。爆破事件の後でいろいろ厳しくなったのだろうとポジティブに考えることにしました。

荷物は珍しくロスバゲもなく全て受け取ることができました。アフリカ線は23キロを2個まで運べるので食材や文庫本をいっぱい持ち帰ることができてラッキーな旅となりました。