2011年5月12日木曜日

国営VS私営

ケニア山周辺は小麦などヨーロッパ的な農業に適していたのでしょう、植民地時代の早い段階から多くの白人が入植した地域です。20世紀に入り自然保護の概念が広まってからは、牧場の一部を野生動物の保護区へ転化する動きが進みました。それら「私営保護区」「コンサーバンシィ」などと呼ばれる中のひとつがスイートウォーターズです。


ここではビッグ5の他にもオリックス、アミメキリンなどバラエティに富んだ動物が手軽に、かつ間近に見られます。国の管理とは別の視点(白人的)による保護活動も進めておけば、万が一どちらかがコケたときの保険になるので賢いと私は思います。ことわざにもあるでしょう。「全ての卵をひとつのカゴにいれるな」ってね。

2011年5月4日水曜日

日本語サファリ

結局ツァボで思ったのは、リンカーンじゃないけど、日本人による日本人のためのサファリをこの地で作り上げて行けたらなぁってこと。
 
イギリス人なんか19世紀にケニアにやってきて以来、鉄道を作ったり冒険したり、狩猟したと思えば自然保護を始めたり、女王が即位したり、皇太子が山奥でプロポーズしたり。そのおかげで人に語るべき歴史は豊富だし、快適なサファリロッジに僕らは泊まれるし。
 
でも小説も映画も図鑑もガイドも動物の名前もみなEnglishなんですよね。そこがいまいち私の中にサファリがすうっと入ってこない原因かと。なんか学生の頃に格好つけて英語のロックを聴きまくっていたけど実は意味不明、という状況に似ているかも。

日本人がケニアに関わりだしてから数十年、その間にロッジは一軒できましたが、日本食レストランは現れては消え、各種ガイドブックはハウツー本の域を超えてないし。日本語ロックならぬ「日本語サファリ」というキャッチフレーズが思いつくまでが私のいつもの限界で、具体的なアイディアは浮かばぬままベッドにもぐりこんだのでした。

2011年5月2日月曜日

居ながらナイト

ロッジの水場は夜になるとライトアップされるので、わざわざ寒風吹きすさぶ中を車で出かけなくても実は結構楽しめます。
 
この夜の訪問者はキリンとバッファロー。レストランスタッフによれば象も頻繁にやってくるそうです。「居ながらサファリ」の雄、アバーデアを脅かす存在としてツァボの存在感が(私の中で)どんどん増してきた一晩となりました。

2011年5月1日日曜日

ナイトサファリ

キラグニ・ロッジでは公園管理局の協力のもとにナイトサファリが可能になっています。ドライバーに加えてサーチライトを持ったガイドが乗り込んでいざ出発。公園内を2時間ほど走り回りながら動物の薄い影を探します。
 
 
ディクディクとウサギはコーナーを曲がる度に出てきますが大物は難しいですね。昼間でさえ見通しの悪い濃いブッシュが多いツァボですから、夜ではいわずもがな。それでも道端のレッサークドゥやウォーターバック、そして近眼の私には辛すぎる距離でライオンとハイエナが見つかりました。

2011年4月30日土曜日

居ながらサファリ③

極めつけはフィンチ・ハットンで、全ての客室からカバの住む池が臨めます。
 
1931年にこの地で亡くなった狩猟ガイドの名を冠したキャンプの一番の自慢は食事でランチが4コース、ディナーが7コース。値段が張る分、味もサービスも申し分ありませんが、私はそれよりもカバの鼻の穴から吹き上げられる水しぶきの音が定期的に聞こえる中、ベランダでぼうっとする時間の贅沢さによほど惹かれました。カバ好きなら親に借金をしてでも2泊しに行ったほうがいいです。

2011年4月29日金曜日

居ながらサファリ②

ングリア・ロッジの水場はセレナのそれよりも更に近くに作ってあり、レストランからは動物園か?ってくらいゾウが近くで観察できます。
 
客室にはベランダもあり、山を越えて水を飲みに一列になって歩いてくるゾウの群れを部屋から眺めることができます。ドライバーさんによるとこのエリアはヒョウも見やすいとか。なるほど水場の横には夜になると肉をぶらさげるという木がありました。私はお茶を飲みに立ち寄っただけだったので見られませんでしたけど、次回は宿泊して夜間撮影に挑戦したいと思っています。

2011年4月28日木曜日

居ながらサファリ①

低い動物遭遇率を補うためか、ツァボのロッジでは「居ながらサファリ」が楽しめるような工夫が見られます。キラグニロッジのレストランの正面は眺望が180度開けていて、正面にはチュユルの丘、左にはキリマンジャロが控えます。


奥には水場がしつらえてあり夜にはライトアップもされます。私の滞在中にはキリン、バッファロー、シマウマ、イボイノシシが観察できました。またランチタイムにはサイチョウやトカゲがパンのくずを狙って多数押しかけてもきます。

2011年4月27日水曜日

観光③

広すぎるツァボでは公園の内部に更にフェンスで囲った区域がいくつか設けられていて、特定の動物が保護されています(サンクチュアリ)。有名なのは東ツァボにあるゾウのリハビリセンター。
 
西のングリアロッジの近くにはクロサイ保護区があり、夕方のドライブの時刻に合わせて一般の人も入れるようになります。ただ動物園のようにはいかず、車を走らせて自分でサイの姿を探すことになるので訪問者は多くはないようです。

2011年4月26日火曜日

観光②

サバンナの真ん中にある水族館は世界でもここだけではないでしょうか。
 
地下の溶岩から染み出した透明な水が集まるムジマ・スプリングスはキラグニセレナから車で50分の場所にあります。その泉にはフナや鯉が暮らしていて、たまにカバやワニも訪れるそうです。湖の真ん中には水中に作られた観察小屋があるのでまるで自分がスノーケリングをしているかのように水中の様子が楽しめるのです。

2011年4月24日日曜日

観光①

ツァボはとにかく広くてざらっとしていて自然むき出しって感じがします。隣のアンボセリなど390平方キロだし赤ちゃんみたいなものです。
 
反面、動物の密度は少なく努力しないと見つかりません。それを補うかのように、「動物サファリ」以外の見所、観光名所がいくつもあるので、以降ひとつずつ紹介していきます。まずはビア樽みたいな変な形の木、バオバブ。特に東ツァボに多いみたいですが写真に映えますね。雨季になると死んだネズミのようにみえる、灰色で薄毛が生えた実がいくつもぶらさがります。

2011年4月23日土曜日

アウトヴアフリカ

ケニアの中でもツァボは特にロマンチックでカラフルな歴史を持つ公園です。予習をしておかないと単なる「動物が少なく蒸し暑い」という印象しか残らないかも。
 
鉄道建設中の1890年代には「人食いライオン」が出没、第一次世界大戦中の風景はカレン・ブリクセンの小説(とメリル・ストリープの映画)によっていつでもお茶の間で再現できます。「沈まぬ太陽」の冒頭のシーンは小説、映画共に日本人に忘れがたい印象を残しています。
 
*写真はキラグニセレナから臨めるチュユル高原

2011年4月20日水曜日

ケニア最大

いわゆる「赤象」で知られるツァボに1泊だけしてきました。このケニア最大の国立公園は面積が2万平方km以上。マサイマラの10個分くらい。広すぎるのか真ん中を国道と鉄道が通っています。
 
目当ての赤いゾウは結局あまり見られませんでした。ロッジのナチュラリストによるとツァボでは3週間前から雨季に入ったそうですから、ゾウ達は砂浴びの代わりに水浴びをしているのかもしれません。

2011年4月17日日曜日

週末ナイト

土曜日は欧州サッカーファンには忙しい一日となりました。ビッグゲームが2つも続いてスポーツバーはどこも混雑。私も外出して様々な酒(タスカモルツ、ワイン、ブロゥジョブ、タスカーetc.)を飲みながら観戦しました。
 
私のひいきのチームが負け、相席になったケニア人がなにかとからかってくるので「てめぇ、夜道に気をつけろよ」と捨て台詞を吐いてしまった自分の人間の小ささにがっかりした夜となりました。

2011年4月15日金曜日

河馬市

アバーデアから100キロ離れた所にケニアでは有名な滝、ニャフルルフォールズがあります。町名を示す看板が道端にあり、注視すると滝を挟んで楽しそうな2頭のカバ。カバもケニアまで来ると踊っちゃうんですね。
 
※この町のもうひとつの自慢は北京オリンピックのマラソン金メダリスト、ワンジルさんの故郷であることです。

2011年4月14日木曜日

ノアの箱舟

5年で2度も経営者が交代したジ・アークに1泊してきました。みんなが争うだけあって魅力もあり、微妙な部分もありました。明日にでも責任者に電話して改善案を示したいと思っています。詳細は「サファリの鉄人」でご覧ください。
 
 
http://safari.salongo.jp/safiri/hotel/ark.html

2011年4月10日日曜日

馬面のあいつ


黒こげになったナクル湖の東側の丘ですが、すでに地面から新芽がたくましく生えていました。そこで横座りするバブーンを発見。辛そうな体勢をよくも続けるなぁと感心してから車で後にしました。

2011年4月9日土曜日

土曜日はにぎやか

ケニアの観光業界は土曜は半ドン、つまり午前中で会社は終わりです。私の小学校時代もそうでした。会社が完全週休二日になったのなんて日本でさえ最近ですよね?

ナイロビにたくさんある国連機関などは金曜の2時で終わりらしいですが!?

午後は会社の人とニャマチョマで一杯やりました。こういう生活を続けていると痛風まっしぐらなのは分かっているんですが、ヤギ肉が彼らのご馳走であることも分かっているので断りづらいのも確かなんです。

2011年4月8日金曜日

キリキリ・キリン

先々週に車を出してナクル湖に行ってきました。ついこないだの乾季に山火事が起きてライオンヒルとナクルロッジの間の丘が黒こげになったそうで、そのダメージを調べたかったのです。
 
途中でロスチャイルドキリンの群れに遭遇したのですが、こちらの目がチカチカするほどでした。急いで写真を撮ると、なんだかパソコン上でコピペしたみたいになりました。

2011年4月1日金曜日

地上の星

昨晩チャンネルを回していると、くさい演技の再現ドラマに目が留まりました。
 
エジプトの岩盤が固いとか、現地スタッフのストライキとかなんとか。そのうちに画面がスタジオの出演者に戻ると、なんとそれは「プロジェクトX」だったのです。英語吹き替えだったし、ケニアのK24というニュースチャンネルでの放映だったのでしばらく気づきませんでした。
 
テレビ局はこの番組を通してケニア人に何を伝えたいのか。。よく分かりませんが、これから毎週木曜の夜は家にいることにしようと思いました。

2011年3月30日水曜日

MS: CAI/NBO

いよいよ4本目のナイロビ線。3席ずつの2列はやっぱり狭さが目立ちますね。カイロ空港の職員が先月来た時よりも明るく元気だったのは民主化の影響でしょうか。または思い込みか。。
 
覚悟はしていましたがナイロビに着いたら荷物が一個紛失していました。バンコク、カイロと2度も「1時間以内乗り継ぎ」だったので無理もないですけど。見つかったら連絡くれるように手配をして、夜中のタクシーに乗り込んで自宅へ出発しました。ちなみに荷物は当日の昼過ぎに奇跡的に見つかったのでした!

2011年3月25日金曜日

MS: CDG/CAI

昨日から数えて3度目のトリプルセブン。やっぱり個人スクリーンはあるし快適ですね。
 
しかしこの頃はまだ落ち着きを取り戻していなかったエジプトでしたが、隣はガイドブック片手にウキウキのフランス人夫妻。欧米の観光客は引くのが早いけど戻るもの早いもんだなぁ、と関心しました。でも4時間もワインなしで死なないのだろうか。。

2011年3月20日日曜日

農業国、フランス

パリからの帰途。チェックインを終えてから余裕が出たのでしょうか。胃袋でもフランスを覚えておこうと思いたちターミナル内のレストランでクロケットなるものを注文してかぶりつきました。皆の言うとおりパンが香ばしくて美味しいですね。つけあわせの野菜もケニアに負けない強い味がしました。鶏肉は普通。


エジプト航空は酒類の提供がないことを思い出し、慌てて搭乗ゲート近くのバーカウンターでシャンパン。グラスで7ユーロ。この一杯でようやくパリ観光の格好がついた感じがしたのです。

2011年3月18日金曜日

日はまた必ず昇る

ケニアより今回の災害で大きな被害を受けた全ての方へお悔やみを申し上げます。
 
狭い心であえて言えば、私の家族、親類は東北地方にはいなかったので無事でした。ただ原発の状況によっては「平和産業」である観光に関わるのはひとまずお休みして日本に戻る選択もあるのかなぁと思い始めています。
 
戦後の65年間はひとまず大きな問題もなくやって来れたのが不思議なくらい。僕らのおじいさんが立て直した日本を、僕らの世代がもう一度できないはずないですよね。

2011年3月10日木曜日

ちょこっとパリス

フランス語の路線図を解読する前に列車は出発。流しのミュージシャンと警察と西アフリカっぽい黒人が気になります。

なじみのある地名で最も近そうだったのはノートルダムでした。30分後に駅に到着。地上に上がると川と犬のウ〇コと観光客。写真を一枚撮ってからすぐに駅へ引き返しました。これが私のフランス初体験でしたが、独りで来る街ではないなぁと思いました。

2011年3月8日火曜日

TG: BKK/CDG

トリプルセブンは映画もいっぱい。海猿3、インセプション、Going the Distance(ドリュー・バリモア、遠距離恋愛でもうまくいくよってテーマですが得たものなし)、など観ました。
 
しかしパリの空港のデザインはすごいですね。本気かふざけているのか分かりません。鍾乳洞のようなエスカレーター。松本零士みたいな空中回廊。
 
ヨーロッパ大陸に降り立つこと自体が初めてだったのですが、だんだんと欲が出てきて「そうだ、パリ行こう」って思いたち、JRじゃなくRERBという列車の切符を買いました。

2011年3月7日月曜日

TG: NRT/BKK

「さようなら、日本」
 
ちょっと感傷的になった私がゲートへ向かうと「遅延」の文字。ずっこけますね。でもさすがは日本。待たせている間にジュースやら軽食やら謝罪のコメントやら色んなものが提供されます。
 
結局3時間遅れで出発し、バンコクで乗り継ぐはずだったカイロ行きには乗れませんでした。
係員からは「1時間後にパリ行きがあるのでそれにまず乗って、パリ経由でカイロに行けます」と言われ納得。成田から数えると「B777-300ERに3本連続で搭乗する」という快挙を成し遂げたのです。誰か表彰して。。

2011年3月6日日曜日

ギネス@一タミ

3週間の日本滞在はまたもやアッという間に過ぎて帰国の日。来た時には飛んでいたエジプト航空(MS)も3月いっぱいは日本線を「お休み」しているので、代わりにバンコクまで一度飛んでそこからMSに乗るという変則技になりました。
 
成田ターミナル1で日本最後のビールを楽しんでいると外には哀愁のジャンボジェットの姿。鯨みたいなA380も探してみましたがあいにく見当たりませんでした。

2011年3月5日土曜日

都会のアフリ感⑤

シリーズ最後はカフェ365に飾っていただきます。人形町駅から徒歩2分、水天宮駅から5分の好立地。ランチタイムも営業しているし、ケニアのビール「タスカー」も冷えています。
 
※薄々気づいたかもしれません。私の会社名とお店との関係についてはここで書くと長くなるのでマスターに直接聞きに行ってくださいね。
 

http://www.cafe-salongo.com/

2011年3月4日金曜日

都会のアフリ感④

むかーし西アフリカから悪名高き三角貿易によって大勢のアフリカ人がカリブ海に浮かぶ島々に連れ去られたそうです。その島のひとつが、今は大地震で有名になってしまったハイチです。
 
地震の多さではひけをとらない日本。その地底に――といっても新宿駅の地下街ですが――ドライカレーの名店「ハイチ」を擁するのは何の因果でしょうか。壁にはアフリカ風のマスクが飾られて雰囲気は間違いなくアフリ感です。フェアトレードのコーヒーも美味でした!ランチストップに是非。

2011年3月3日木曜日

都会のアフリ感③

私のバースプレイスは台東区ですが、よりディープな上野のあっち側にアフリカを感じさせるバーを見つけました。若い店長がサファリ好きなので我々のような面倒くさい客が「ゾウの後ろ足の指は何本か?」などと絡んでも嫌がられないのがいいですね。

スクリーンにはサバンナの映像が流れているので近くを通った際にはのぞいてみてください。

http://bar-ya-neema.com/

2011年2月27日日曜日

都会のアフリ感②

みなさんの近所にココスはありますか?ジャポネギソースのハンバーグで有名なファミレスなんですけども。
 
そのCocosではケニア産の茶葉を使った紅茶がなんと飲み放題で楽しめるのです。香りは弱いですが雑味がなくスッキリ!工程から高レベルで管理された茶葉はポットに入れた途端に広がり始めます。ケニアでさえこのタイプの茶葉は出回っていませんから驚きです。
 
ドリンクバーだけの利用も可能なので国道沿いに見かけたら次回は是非立ち寄ってみてくださいね。

2011年2月26日土曜日

都会のアフリ感①

今日から数日にわたって私が日本滞在中に見かけた「あなたの隣のアフリカン」を紹介して行きます。忙しい日常では気づかないだけで、実は結構な割合で東京ではアフリカ関連のネタがフィーチャーされているのです。
 
第一弾は青山に縞馬?ってダジャレができそうですが、ヴィトンの店頭ディスプレイで見かけた「ヴィトンの馬具を身につけて嬉しさのあまりもだえている」コモンゼブラです。次の日曜日に見に行ってはいかがでしょうか?

2011年2月25日金曜日

MS964、飛ぶっ!

その日は飛ばないことが昼までに決まったので、体力の限界を感じていた私はいったん空港近くのホテルへ引き取って勝負を次の日にかけることを誓ったのでした。ホテルのTVではムバラクさんが「私、絶対に辞めない!」って叫んでいました。
 
次の日、空港に戻ってからもいろいろありましたが、最後には力技で1席をもぎ取りました。3時間遅れの出発でしたが文句を言う人はおらず、皆ひたすら無事に日本へ着けることを祈っている様子でした。
 
成田着は午後3時。着陸時に機内から自然に拍手と歓声があがったのはいうまでもありません。私も思わずCAさんに「飛んでくれてありがとう」と言ってしまいました。

2011年2月23日水曜日

カイロ泊(ただし床)

今となっては笑い話にもなりますが、日本へ向かう途中で立ち寄ったエジプトにまさか二泊も足止めを食らうとは。。
 
日本では旅行者向けの危険度が引き上げとなった1月29日の朝、私は機内でのん気にクロワッサンを味わっていました。 
 
 
ところがカイロに着いてみると空港には不穏な空気が流れています。それでも乗り継ぎ便にチェックインはできたので安心していると予定時刻になっても飛行機が飛ぶ気配がありません。アナウンスもなしに待合室で3時間待ったあげく「今日は飛びません」って人づてに知らされました。
その日は空港の床で寝ましたが、明け方になって日本大使館から朝食の差し入れがありました。いつ帰れるか分からない状況の中で味は全くしなかったのを覚えています。

2011年2月22日火曜日

休暇も終わり

三週間の休暇も終わり、明日ケニアへ向けて出発します。来るときはエジプトでトラブルに巻き込まれましたがその後はゆっくりできました。
 
これまでコンデジとしてLUMIXを使っていましたが今回はキャノンのIXYを買って帰ります。なんでも暗いところでキレイに撮れるらしく、溜池山王の夜景もご覧のとおり。カメラの性能ってすごいですね。

2011年1月20日木曜日

カメ横断中

マサイマラからセレンゲティまで9時間かけて移動中のこと。
 
前夜の雨のせいなのか、見事にはまったランドクルーザーを泥から救い出すために岩を探していました。妙に平べったい石に目がとまり拾い上げてみると亀!周りに水場もないのにどこに向かって歩いていたのでしょうか。車なんかに轢かれるなよぉと藪の中に放したのですが、いまだに竜宮城からの使いは来ていません。

2011年1月13日木曜日

豹柄のあの子

爬虫綱つながりで言えば、今回のタンザニア旅行ではカメの仲間によく出会いました。
 
こちらはヒョウモンガメの子供。てくてくセレンゲティの道路を歩いていました。小さい時は特にその「豹柄」がはっきりしていて思わず見とれてしまいます。

2011年1月11日火曜日

辰年?

「う」とくれば次は「たつ」。来年はイヤーオブドラゴンですね。
 
タランギレ国立公園内を流れる川は12月にはほぼ干上がっていました。その乾いた川床を歩いていたナイルオオトカゲ。もしロッジで見かけても尻尾をつかんだりしないでください。別名ドラゴンのとおり、噛まれると怪我どころか毒があるそうですから。

2011年1月10日月曜日

うさぎ年?

寒い日本はウサギ年を迎えたことと思います。
 
日中のゲームドライブ中にウサギ類を見かけるのはとっても稀です。公園外を夜間走行するチャンスがあったならば車のヘッドライトの中に浮かび上がるトビウサギやヘアー(ちょっと大きいウサギ)の姿を見つける可能性があります。
 
※ウサギの写真が無くてすみません。代わりにハイラックスです。親戚でも何でもありません。

2011年1月6日木曜日

抗ヒス薬

ふと見上げると、食堂として使われている大型テントのてっぺんにハイラックス。彼らを見つけた瞬間に私の頬はいつでも緩み、声が裏返り、「カワイーですねぇ」とムツゴロウさん化してしまうのでした。
 
※マサイによればハイラックスのフンと尿はヒステリーに効くそうです。可愛いだけじゃない!彼らなのでした。

2011年1月5日水曜日

朝日 n' コーヒー

セレンゲティの中心よりやや北側にあるムブズィマウェというテントキャンプの朝日です。食堂に6時過ぎに顔を出したのですが、嫌な顔せず珈琲をいれてくれました。嬉しかったので「君、日本のカフェで働けるよ」って言ったら「エーッ?」って複雑な声が返ってきました。

2011年1月4日火曜日

ンゴ日の出

ンゴロンゴロセレナからの朝日はこんな感じ。クレーターの東の山際から昇ってきます。
 
セレナよりちょっと東にあるワイルドライフロッジは更に崖ぎわに建っています。かつて政府直営だったそれらのロッジは各地で最高の立地を選んだ上で建設されたのだろうなと改めて思うのでした。

2011年1月2日日曜日

マラ日の出


日の出といえば、こないだのマサイマラでのそれもすごかったです。
 
川沿いのテントロッジでいつになく早起きし、カバの親子を目の端に捉えながら待ったサンライズ。ピーカンよりも薄雲がかかっていたほうが光の加減が映えるって、新たな発見でした。

2011年1月1日土曜日

セレ日の出


明けましておめでとうございます。
 
日本のみなさんにはセレンゲティの地平線から登る太陽を元旦にお届けしようと思います。サバンナで見る太陽は、空気中に巻き上がる土ボコリによって余分な光が遮られ、日本で見るよりも大きく見えるって本当でしょうか?誰かご存知でしたら教えてください。