2011年11月21日月曜日

18日目:ベルマー

モーリシャスでの4泊目は同じ東海岸の中ですがホテルを移動しました。こちらのBelle Mare Plageは読み方は分かりませんがいろんな点で素晴らしい大型ホテルでした。
 
通されたのは基本カテゴリーのJRスイートでしたが気を使っていただいたみたいでビーチのすぐ隣の、しかも3階の部屋でした。ベランダに続くドアを開け放しておくとインド洋のさざなみが室内に聞こえてきます。こんな贅沢は初めてです。
 
Life is too short to drink bad wines
 
などとワイン愛好家はほざきますが、私の頭には「ボロ部屋に泊まっているような無駄な時間は人生には与えられてはいない」というフレーズが勝手に浮かんだのでした。

17日目:ボーリバージュ

モーリシャスって面白い場所です。大洋のど真ん中に海底火山の噴火によって急にポコっと島ができまして、適した温かい海水と十分な太陽光線によって浅瀬にはサンゴ礁が発達して人間が泳ぎやすくなりました。
 
インド/アフリカ航路の上にあったのでオランダ人がまずは住み着き、その後で捨てられて、次にフランスのものになりました。ドードーなどの固有種は人間を見たことないので次々に殺されて、オーストラリアと並ぶ「大虐殺の島」になりました。またプランテーションでの労働力として黒人がいっぱい本土から連れて来られました。
 
他地域の例に違わずイギリスがちょっかいを出してきて結局は統治者となり奴隷を解放したりしましたがフランス的な社会構造は維持しました。それで新聞、TVは今でもフランス語です。フランス人は奴隷の代わりにインドからの労働者を大量に「雇用」したので今では人口の52%はインド系住民です。

サトウキビ、観光、衣料の生産が主な産業。特に観光は「金のある人が少数来ればいい」というポリシーで、チャーター便は受け入れていないしサービスの質を高めようと努力が随所に見られるし、どっちつかずのケニアとはえらい違いなのです。

2011年11月20日日曜日

16日目:ボーリバージュ

お部屋は一番安いカテゴリーでもこんな感じ。十分広くて使いやすかったです。
 
リゾートでの滞在は5年前にガラパゴスで乗ったクルーズ船でのそれと似たような感じでした。食事はそこで取るしかなく、シュノーケリングとかグラスボトムボートとか無料で参加できて、かつビールが高い点において。
 
食事はフランスの影響か、クロワッサンなどケニアの5倍は美味しく、バイキングの量も種類も豊富で、特にデザートコーナーは素晴らしかったです。

2011年11月19日土曜日

15日目:ボーリバージュ

今日からいよいよ旅の最後、リゾート滞在が始まります。だまされたりお腹を壊すこともないでしょう。
 
モーリシャス航空に乗って出発、夜便だったのでさんご礁は空から見えませんでした。空港からは埼玉の田舎(私の実家)みたいな風景を1時間ほど走り、島の東のビーチに到着。これから3泊はボー・リバージュという大型リゾートでゆっくりするのです。

2011年11月18日金曜日

14日目:JNB

さすがに昨日の12時間サファリは疲れたようでドイツ人より遅れて朝食へ。2日過ごしたロッジに別れを告げてヨハネスブルグへ出発。途中、世界第3位の規模だという渓谷で写真ストップ。
 
宿泊は同じブティックホテル。日暮れ前に通りにあるイスラエル料理屋で飲んだミントティーは大変美味しかったのです。夜は中国人の握るすし屋を3軒ハシゴしましたがどれも最低。ナイロビのほうがまだましです。
 
ホテルに戻ると旅仲間だったアイルランド人の「ウィスキーはシングルモルトに限るぜ」という言葉が浮かんできて、バーで一杯やりました。確かにうまい。飲みながら衛星放送でラ・リーガの試合を見ていると今度はいっしょにキャンプしたスペイン人の看護婦のことが思い出されます。今後オリンピックの話題を目にする時は、ツリーハウスで同宿したロンドン在住のエキセントリックな編集者を思い出すでしょう。
 
旅行に出ると金盗まれたり下痢したり試練が待ち構えていますが、一方で部屋に閉じこもっていても得られない沢山のことを発見、体験できるんですね。そんな原点に気づくことができた旅になりました。

2011年11月17日木曜日

13日目:ツリーハウス

ここも例にもれず朝はインスタントコーヒー。南アにはコーヒー文化が無いことを知ったのでした。
 
この日は日帰りで目玉のクルーガーNPへ。2万平方kmのうち北部の1/4くらいしかカバーしませんでしたが植生や風景は多様で、動物もいっぱい見られました。公園内には舗装道路があり、ドライバー達(白人)は無線を使わずアフリカーンス(南アの白人の言語)で情報交換をするなど、ケニアと違う点がいろいろ興味深かったです。公園内には写真のような展望レストランもありました。
 
6時に日が沈み、急いでロッジに戻っても8時着。疲れきってディナーの後はみんな部屋に直行していました。

12日目:ツリーハウス

早朝から白人ガイドによるウォーキングサファリ。ためになる情報がいっぱいで楽しめました。ブランチの後、2軒目の宿へ移動させられました。
 
実はここが予想外に良かったのです。沢沿いの急斜面に写真のような樹上ルームが建っていて、部屋には階段でアクセスします。トイレとシャワーは下のほうの別棟にあるので部屋は寝るだけの目的になりますが、トムソーヤーというか隠れ家チックというか。アバーデアのツリートップスより私は気に入りました。

2011年11月16日水曜日

11日目:バルレ

今日から再び4日間の乗り合いツアーに参加して、南ア最大の国立公園、クルーガーを探索します。参加者はドイツ人5名、スイス2名、アメリカン1名、そして私。
 
ここでも南アの適当さに衝撃を受けます。ノマッドという会社のツアーに金を払ったはずなのに当日は違う会社に丸ごと委託されていました。トラックのはずがトヨタのバンが来るし、キャンプ泊のはずが写真のようなロッジに勝手にグレードアップされているし、最低なのは公園内に2泊するはずが公園外の3泊に変更されている点。
 
日本では許されるはずのない大幅な変更が満載でしたがぶち切れる前に様子を見ようと思いそのまま出発しました。しかし南アもでかい国ですね。首都からクルーガーまで450キロ、道路は素晴らしくスムーズですが6時間も揺られるとさすがに疲れました。
 
訪れるはずだったゾウの保護センターも全く素通り。文句言う気力も起きません。初日はクルーガーに隣接するバルレ私営保護区の中にあるロッジに宿泊。夕方から夜にかけてサファリを行いヒョウが見られたのでちょっと気分が持ち直しました。