2011年3月18日金曜日

日はまた必ず昇る

ケニアより今回の災害で大きな被害を受けた全ての方へお悔やみを申し上げます。
 
狭い心であえて言えば、私の家族、親類は東北地方にはいなかったので無事でした。ただ原発の状況によっては「平和産業」である観光に関わるのはひとまずお休みして日本に戻る選択もあるのかなぁと思い始めています。
 
戦後の65年間はひとまず大きな問題もなくやって来れたのが不思議なくらい。僕らのおじいさんが立て直した日本を、僕らの世代がもう一度できないはずないですよね。

2011年3月10日木曜日

ちょこっとパリス

フランス語の路線図を解読する前に列車は出発。流しのミュージシャンと警察と西アフリカっぽい黒人が気になります。

なじみのある地名で最も近そうだったのはノートルダムでした。30分後に駅に到着。地上に上がると川と犬のウ〇コと観光客。写真を一枚撮ってからすぐに駅へ引き返しました。これが私のフランス初体験でしたが、独りで来る街ではないなぁと思いました。

2011年3月8日火曜日

TG: BKK/CDG

トリプルセブンは映画もいっぱい。海猿3、インセプション、Going the Distance(ドリュー・バリモア、遠距離恋愛でもうまくいくよってテーマですが得たものなし)、など観ました。
 
しかしパリの空港のデザインはすごいですね。本気かふざけているのか分かりません。鍾乳洞のようなエスカレーター。松本零士みたいな空中回廊。
 
ヨーロッパ大陸に降り立つこと自体が初めてだったのですが、だんだんと欲が出てきて「そうだ、パリ行こう」って思いたち、JRじゃなくRERBという列車の切符を買いました。

2011年3月7日月曜日

TG: NRT/BKK

「さようなら、日本」
 
ちょっと感傷的になった私がゲートへ向かうと「遅延」の文字。ずっこけますね。でもさすがは日本。待たせている間にジュースやら軽食やら謝罪のコメントやら色んなものが提供されます。
 
結局3時間遅れで出発し、バンコクで乗り継ぐはずだったカイロ行きには乗れませんでした。
係員からは「1時間後にパリ行きがあるのでそれにまず乗って、パリ経由でカイロに行けます」と言われ納得。成田から数えると「B777-300ERに3本連続で搭乗する」という快挙を成し遂げたのです。誰か表彰して。。

2011年3月6日日曜日

ギネス@一タミ

3週間の日本滞在はまたもやアッという間に過ぎて帰国の日。来た時には飛んでいたエジプト航空(MS)も3月いっぱいは日本線を「お休み」しているので、代わりにバンコクまで一度飛んでそこからMSに乗るという変則技になりました。
 
成田ターミナル1で日本最後のビールを楽しんでいると外には哀愁のジャンボジェットの姿。鯨みたいなA380も探してみましたがあいにく見当たりませんでした。

2011年3月5日土曜日

都会のアフリ感⑤

シリーズ最後はカフェ365に飾っていただきます。人形町駅から徒歩2分、水天宮駅から5分の好立地。ランチタイムも営業しているし、ケニアのビール「タスカー」も冷えています。
 
※薄々気づいたかもしれません。私の会社名とお店との関係についてはここで書くと長くなるのでマスターに直接聞きに行ってくださいね。
 

http://www.cafe-salongo.com/

2011年3月4日金曜日

都会のアフリ感④

むかーし西アフリカから悪名高き三角貿易によって大勢のアフリカ人がカリブ海に浮かぶ島々に連れ去られたそうです。その島のひとつが、今は大地震で有名になってしまったハイチです。
 
地震の多さではひけをとらない日本。その地底に――といっても新宿駅の地下街ですが――ドライカレーの名店「ハイチ」を擁するのは何の因果でしょうか。壁にはアフリカ風のマスクが飾られて雰囲気は間違いなくアフリ感です。フェアトレードのコーヒーも美味でした!ランチストップに是非。

2011年3月3日木曜日

都会のアフリ感③

私のバースプレイスは台東区ですが、よりディープな上野のあっち側にアフリカを感じさせるバーを見つけました。若い店長がサファリ好きなので我々のような面倒くさい客が「ゾウの後ろ足の指は何本か?」などと絡んでも嫌がられないのがいいですね。

スクリーンにはサバンナの映像が流れているので近くを通った際にはのぞいてみてください。

http://bar-ya-neema.com/