2012年10月24日水曜日

増えてるホテル

国連やNGOが値段を吊り上げているナイロビのホテルですが、このところ建設計画が続けて発表になりました。値下げにつながって欲しいものです。

すでに建設が始まっているのはあのケンピンスキー。タンザニアに3軒持っていたのですが最近全て売却したので東アフリカに興味ないのかと思っていました。市内と繁華街の間にあるので眺めや庭は無さそうですが敷地内は豪華にまとめてくるでしょう。
ラディソンは建設予定地に看板だけ立っています。クラウンプラザのあるアッパーヒル地区です。アコーホテルも計画があるそうです。ドバイを本拠にするアドレスホテルもナイロビとマサイマラにホテルを建てたいそうです。投資家は大統領選挙後も政府が転覆することはないと考えている表れだと思います。

2012年10月23日火曜日

いやはや超人だ


エチオピア人は登山中のランチにも手を抜きません。
この日は山頂を目指す日で朝の4時出発でした。コックさんは簡単な朝食で我々を送り出した後、日の出前にも関わらず圧力釜でスパゲティを作り、それをアシスタントが釜ごと担いで山頂まで運んできてくれました。おかげで温かい食事と美しい風景を同時に楽しむことができたのです。
下山開始後、空になった釜をかつぐ彼の姿は泳ぐように先を行き、結局我々よりも何時間も前にキャンプに帰着していたのです。

2012年10月22日月曜日

全部のせ中盛り

首都から数百キロ離れた、登山ルート上で最後となる町にあった食堂でも同様の料理が食べられる点においてエチオピア文化はすごいと感じました。この地域ではテフという穀物が育たないそうで、そのせいでインジェラに含まれる酸味が弱かったのが僕らの口にも合った理由でしょう。写真はミックスプレートというメニューで、お皿の上にインジェラを敷いて、その上に各種の料理をちょっとずつぶっかけて、手でインジェラをちぎっては具といっしょに口に運びます。

2012年10月21日日曜日

味の店、エチオピア

豊かな歴史を持つエチオピアが食文化においても周辺諸国を置き去りにしているのは当然です。
口にした人々の心に残り、拡散し、受け継がれていく味というものは、私が思うにルイ16世や始皇帝が命じて作らせたようなトップダウン方式か、または江戸時代のような成熟した市民社会が生み出す寿司のようなロングセラー商品のどちらかなので。

日本の主食が炊きたてご飯ならば、エチオピアではこのぞうきんみたいな見かけのインジェラです。雑穀を発酵させてプツプツ穴が開いた生地をクレープみたいに焼き上げます。主菜は牛、野菜、鶏肉などを煮込んだり焼いたり、まさかの生でユッケ風にしたり、工夫とバリエーションが見られます。写真はヒヨコ豆のペーストをひき肉と煮込んだシロという料理です。

2012年10月19日金曜日

首ったけエンジェル

古都ゴンダールの教会の屋根には褐色の肌を持つ首だけで飛び回るという天使の画がいっぱいに描かれています。300年の長きに渡ってその美しさは失われていないとか。

登山中に出会った子供達は、胴体こそありますが、お顔は天使にそっくりでした。特に白く輝くおでこと頬が忠実に再現されていることに気づくはずです。羊にヘッドロックはほどほどにしてあげてほしいけども。

2012年10月18日木曜日

サイの国

エチオピアをちょっと離れて南アに飛びます。
サイの密猟のペースが昨年よりも早いそうで、すでに455頭が密猟者によって殺され、この数はすでに昨年の総計をうわまるそうです。妊娠期間が16ヶ月ですし性成熟も遅いのでこの損失をカバーするにはどのくらいの年月が必要になるのでしょうか。

2012年10月16日火曜日

チェネック村

登頂も終えてあとは車で山を脱出するだけになった日の朝、散歩に出ると子供達がままごとをしていました。
ペットボトルを赤ちゃんに見立てて背負ってみたり、そこらの草をちぎって空き缶に入れてご飯にしてみたり。早朝にはお姉ちゃんなのか、20リットルくらいのタンクに水を汲んで運んでいた姿を見かけたので、お手伝いの後の遊びの時間だったみたいです。

2012年10月15日月曜日

隣の晩ごはん

2日目のキャンプ場の手前の村。カメラが好きな子とそうでない子がいるのは当然ですね。

この地域に足を伸ばす目的を登山だけに設定してあるならいろんな意味でキャンピングがベストアンサーです。一方で同時に地元民との交流も視野に入れるなら途中の何泊かを民家におじゃまして寝床(文字通り冷たい床もありうる)や夕飯をシェアすることも可能だそうです。きっと忘れ難い一晩になるでしょう。ダニと南京虫との交流が必ずおまけでついてくる点で私は今回は遠慮しました。