登頂も終えてあとは車で山を脱出するだけになった日の朝、散歩に出ると子供達がままごとをしていました。
ペットボトルを赤ちゃんに見立てて背負ってみたり、そこらの草をちぎって空き缶に入れてご飯にしてみたり。早朝にはお姉ちゃんなのか、20リットルくらいのタンクに水を汲んで運んでいた姿を見かけたので、お手伝いの後の遊びの時間だったみたいです。
2012年10月16日火曜日
2012年10月15日月曜日
隣の晩ごはん
2012年10月14日日曜日
スマイル0円
おおげさな装備で私があるいた登山ルートは、地元の人にとっては単なる生活道路に過ぎません。山頂アタックの日でさえ、日曜だったので、山の向こうの市場に買出しにいくという人々にどんどん追い抜かされていました。
ルート上では頻繁に道端やカーブの向こうに物売りの少年が突然現れます。我々の姿を尾根の向こうに見つけ、土産物を手にして待ち構えていたのでしょう。品物はこういう小さい箱から毛糸の帽子、牛の角で作ったショットグラスなど。接客?態度も控えめで遠くの村から来た、などと聞かされるとつい財布に手がのびるのです。
ルート上では頻繁に道端やカーブの向こうに物売りの少年が突然現れます。我々の姿を尾根の向こうに見つけ、土産物を手にして待ち構えていたのでしょう。品物はこういう小さい箱から毛糸の帽子、牛の角で作ったショットグラスなど。接客?態度も控えめで遠くの村から来た、などと聞かされるとつい財布に手がのびるのです。
2012年10月13日土曜日
オラが村
まあ急峻な谷が限りなく続く山の中に1週間いたわけですが、エチオピアの山のすごいところはそのどこにでも人家があるって点です。
展望の開けたポイントで休憩して景色にひたっていても、絶対民家やトタン屋根が目に入ります。世界と隔絶しているような丘のてっぺんにも家と畑があったりします。マサイマラの人家と違って嫌な感じは決して受けません。
農業と放牧に適した豊かな土地が最初にあって、そこにずっと前からヒトが住みつき生活を営み、20世紀に北米から輸入された国立公園という概念を借りたまではいいが居住者は追い出さなかった政府の優しさ。そういったものがごちゃまぜになって私の眼前に提示されただけだったのですから。
2012年10月12日金曜日
ひとつ屋根の下

明確な身体的特徴を共有する(肌が黒っぽい)10億人余がひとつ屋根の下で仲良く暮らすことを理想とするのがAU(アフリカ連合)ならば、あんちゃん役は誰だろう。カダフィ大佐が最も近づいたけど殺されちゃったし。ウガンダ大統領も結構いい線いける。長女役はたまに発言が暴走するジンバブエがいいでしょう。ケニアは個性に欠ける、というのが私の意見です。
2012年10月11日木曜日
きまぐれサンセット
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