2011年11月25日金曜日

ケニアの雨季

このところナイロビでは毎日雨です。11月は短い雨季にあたるのでおかしくはないですが、日中も降り続く点が昨年と異なります。
 
雨が降っていても動物は公園内にいますから観察はできます。ただし川が増水して橋が渡れなくなったり壊れたりすると移動に制限がでてきます。2006年はクリスマス頃がちょうどこんな感じの天気だったのを思い出しました。
 
*写真は雨上がりのオルペジェタ

2011年11月23日水曜日

駅伝ケニア

鉄道網なんか全然発達してないケニアですが、千葉で行われた国別対抗駅伝で優勝したそうですね。日本でケニア、という文字を目にする稀な機会のひとつが走ることに関連します。あとは何でしょう。最近では戦争とか旱魃関連でしょうか。
 
反対にケニアの日刊紙を読んでいてJAPANの名が出てくる機会も少ないですが、最近では陛下入院、スズキのモトGP撤退、ドルトムントの香川選手くらいは目にしました。

2011年11月22日火曜日

20日目:エチオピア上空

朝の便で島を後にします。空から見たら浅瀬に発達したサンゴ礁の美しさがより伝わってきました。機材は立派なエアバス330-200、映画を一本見ました。
 
エアモーリシャスはJNBのターミナルBに到着するので、トランジットデスクで乗り換えの手続きをしてからターミナルAへ移動します。途中で名物のビーフジャーキーを買い込んでから3週間前に来たときと同じルート、エチオピア経由でケニアへ向かいました。

機内ではいとこが日本に住んでいるというエリトリア人のCAと話し込み、その子が猿、猿と呼ばれていじめにあっている状況についてのアドバイスを考えているうちに着陸態勢に入ってしまいました。
 
ナイロビ到着時は思ったとおりロスバゲに合いましたが3週間の旅で鍛えられたので僕の心は折れませんでした。2日後に発見されましたし上出来でしょう?これからじっくり旅が私に与えてくれた数々のものごとについて反芻、咀嚼、消化していきたいと思っているところです。

2011年11月21日月曜日

19日目:プリンスモーリス

今回の旅の最後を飾るにふさわしいホテルをご紹介します。どっかの王子様が泊まるようなこのホテルは敷地、部屋、プールともにこじんまりとしていますが、雰囲気やデザインから「お客がゆっくり過ごせること」を最優先にして作ったんだなぁという感じがびんびん伝わってきました。ケニアにこういうのありませんから。
 
敷地の半分が濃い緑のマングローブに覆われた湾に面していて、自慢の海上レストランもそちらにあります。こちらで頂いたブイヤベースとミルフィーユの味を思い出す度によだれが。。

18日目:ベルマー

モーリシャスでの4泊目は同じ東海岸の中ですがホテルを移動しました。こちらのBelle Mare Plageは読み方は分かりませんがいろんな点で素晴らしい大型ホテルでした。
 
通されたのは基本カテゴリーのJRスイートでしたが気を使っていただいたみたいでビーチのすぐ隣の、しかも3階の部屋でした。ベランダに続くドアを開け放しておくとインド洋のさざなみが室内に聞こえてきます。こんな贅沢は初めてです。
 
Life is too short to drink bad wines
 
などとワイン愛好家はほざきますが、私の頭には「ボロ部屋に泊まっているような無駄な時間は人生には与えられてはいない」というフレーズが勝手に浮かんだのでした。

17日目:ボーリバージュ

モーリシャスって面白い場所です。大洋のど真ん中に海底火山の噴火によって急にポコっと島ができまして、適した温かい海水と十分な太陽光線によって浅瀬にはサンゴ礁が発達して人間が泳ぎやすくなりました。
 
インド/アフリカ航路の上にあったのでオランダ人がまずは住み着き、その後で捨てられて、次にフランスのものになりました。ドードーなどの固有種は人間を見たことないので次々に殺されて、オーストラリアと並ぶ「大虐殺の島」になりました。またプランテーションでの労働力として黒人がいっぱい本土から連れて来られました。
 
他地域の例に違わずイギリスがちょっかいを出してきて結局は統治者となり奴隷を解放したりしましたがフランス的な社会構造は維持しました。それで新聞、TVは今でもフランス語です。フランス人は奴隷の代わりにインドからの労働者を大量に「雇用」したので今では人口の52%はインド系住民です。

サトウキビ、観光、衣料の生産が主な産業。特に観光は「金のある人が少数来ればいい」というポリシーで、チャーター便は受け入れていないしサービスの質を高めようと努力が随所に見られるし、どっちつかずのケニアとはえらい違いなのです。