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2014年9月21日日曜日

ライトウィング

ちなみになんで安部総理かというと、エチオピアの首都にあるアフリカ連合本部で昨年か今年に演説して、中国の援助は常に裏があるけど日本は良いパートナーだ!なんてぶちかました、そんなやんちゃなストーリーが今回の背景にあるからです。
 
日本からの直行便(業界ではたとえ経由地が途中に挟まっていたとしても便名が変わらないままであれば直行と言い張ることになってます)でエチオピアに行くとこんなライオンと猿がくっついたような珍獣に出会えます。

2014年9月20日土曜日

ドリーミング②

バージンが成田を見限った直後の吉報ですから更に嬉しいですね。
 
エチオピア航空(ET)の大陸内の路線の多さは皆の知るところであり、これからは日本発でアフリカ各国にスムーズに出張または観光に出かけられるって点がコペルニクスかエジソン級にすごいってことに何人くらいが気づいているのかなぁ。安部総理、偉い!
 
ケニアが避けられている今、隣国のタンザニアの人気がアップしていますが、そのゲートであるキリマンジャロ空港にもETは入っています。到着時刻は夕方なので現状のカタールと同じように使えます。もしかしたら経由地が例のモンバサの可能性があるので途中降機しないとしてもダメ、ゼッタイ!って言う旅行会社があるかもしれませんけど。。

2014年7月30日水曜日

8月に全員集合

なんかアメリカが中国の真似をしてアフリカ諸国を呼びつけて会議を開くそうです。8月4日に。54カ国あるんで各国の首脳が30分ずつオバマさんへのアピールタイムが与えられると仮定するとすごい計算になりますね。聖徳太子の協力が必要だな。その前にエボラを運んで来て欲しくないんですけどね。

2014年4月21日月曜日

空気読みすぎ

ある研究によればゴリラが発する音、音声の9割はオトナ雄によるものだそうです。つまり群れのメンバーは子供も含めて常にシルバーバックの動向を視覚的または彼がかもし出す空気を読んで行動し、めったに声を出さないってことです。ずっと図書館に住んでいるようなものでしょうか。彼が動けばついて行き、彼が横になればやはりこちらも寝床の準備を始めます。
 
ゴリラ観察中の一時間はつまり我々もそのルールに従うことになるのです。カワイーとか黄色い声を出そうものなら参加者のみならずゴリラからも白い目で見られるでしょうね。

2014年4月2日水曜日

ドリームライン

警戒態勢がどんどん厳しくなるナイロビの空港ですが、そこを拠点にしている国営のケニア航空もエチオピアのそれに遅れること数年、やっと787をボーイング社から受領するそうです。
 
今月中に6機、その後は年内にさらに5機が到着するそうです。記念キャンペーンとしてミニチュアモデルのプレゼントを行っていますが、その応募条件はKQのステッカーを愛車の目立つ場所に貼り付ける、というものです。なので市内の道路は現在テロにも負けず夢に溢れています。

2014年2月19日水曜日

睡眠スイス

エチオピア航空の副操縦士が202人の乗る自機をハイジャックして朝6時にジュネーブに着陸した事件にはびっくりしましたが、もっと驚くのはスイス当局の対応でした。なんでも空軍の勤務時間外だったのでスクランブル発進をしなかったとか。ちなみに土日も休んでいるそうです。

2014年2月15日土曜日

約束の地

浪人生か大学生にとってはカレー屋の名前に過ぎませんが、僕らにしてみたらエチオピア航空が夏からの成田の発着枠を確保したってニュースは驚きを通り越して心配にさえなります。
 
アフリカでもベスト5の航空会社であり、経営状況も評判もよく、さらにはANAに次いでボーイング787を受注するほどの会社ですから本気だとは思うのですが。ビジネス客は期待できないですからレジャーと乗り継ぎ(特に西アフリカ方面)に期待しているのかもしれません。

2013年11月14日木曜日

馬軍団

現存する1属6種のうち4種がアフリカに住んでいます。エチオピアで荷物を運んでいたこのロバも、家畜化される前の祖先はれっきとしたアフリカ出身なんです。
 
自然界に目を転ずるとマサイマラなどでよく見かけるプレーンゼブラが例外的に草原に進出して成功していますが、他の3種はもっと乾燥して山がちな地域に暮らしていて、それぞれ絶滅の危機に瀕しているそうです。ケニアでは上記のプレーンとグレービーの2種が観察できます。

2012年10月31日水曜日

霧のような疑念

今月の最後はやっぱり山頂からの眺めで締めたいと思います。ここまで来ると植生も少なく地衣類ばかりになります。

エチオピア最高峰であるラス・ダッシェンは通常4,620mと表されますが、科学的な方法で調べると実際は4533m程度に落ち着くらしいです。私の携帯したGPSは4,530mを表示しました。
しかしそれが事実だとするとアフリカ第四峰の地位をタンザニアのメルー山に奪われてしまうので、アフリカ一誇りの高い民族にはたぶん受け入れられないはず。ここはひとつ大人の対応が必要とされる山なのです。

2012年10月23日火曜日

いやはや超人だ


エチオピア人は登山中のランチにも手を抜きません。
この日は山頂を目指す日で朝の4時出発でした。コックさんは簡単な朝食で我々を送り出した後、日の出前にも関わらず圧力釜でスパゲティを作り、それをアシスタントが釜ごと担いで山頂まで運んできてくれました。おかげで温かい食事と美しい風景を同時に楽しむことができたのです。
下山開始後、空になった釜をかつぐ彼の姿は泳ぐように先を行き、結局我々よりも何時間も前にキャンプに帰着していたのです。

2012年10月22日月曜日

全部のせ中盛り

首都から数百キロ離れた、登山ルート上で最後となる町にあった食堂でも同様の料理が食べられる点においてエチオピア文化はすごいと感じました。この地域ではテフという穀物が育たないそうで、そのせいでインジェラに含まれる酸味が弱かったのが僕らの口にも合った理由でしょう。写真はミックスプレートというメニューで、お皿の上にインジェラを敷いて、その上に各種の料理をちょっとずつぶっかけて、手でインジェラをちぎっては具といっしょに口に運びます。

2012年10月21日日曜日

味の店、エチオピア

豊かな歴史を持つエチオピアが食文化においても周辺諸国を置き去りにしているのは当然です。
口にした人々の心に残り、拡散し、受け継がれていく味というものは、私が思うにルイ16世や始皇帝が命じて作らせたようなトップダウン方式か、または江戸時代のような成熟した市民社会が生み出す寿司のようなロングセラー商品のどちらかなので。

日本の主食が炊きたてご飯ならば、エチオピアではこのぞうきんみたいな見かけのインジェラです。雑穀を発酵させてプツプツ穴が開いた生地をクレープみたいに焼き上げます。主菜は牛、野菜、鶏肉などを煮込んだり焼いたり、まさかの生でユッケ風にしたり、工夫とバリエーションが見られます。写真はヒヨコ豆のペーストをひき肉と煮込んだシロという料理です。

2012年10月19日金曜日

首ったけエンジェル

古都ゴンダールの教会の屋根には褐色の肌を持つ首だけで飛び回るという天使の画がいっぱいに描かれています。300年の長きに渡ってその美しさは失われていないとか。

登山中に出会った子供達は、胴体こそありますが、お顔は天使にそっくりでした。特に白く輝くおでこと頬が忠実に再現されていることに気づくはずです。羊にヘッドロックはほどほどにしてあげてほしいけども。

2012年10月16日火曜日

チェネック村

登頂も終えてあとは車で山を脱出するだけになった日の朝、散歩に出ると子供達がままごとをしていました。
ペットボトルを赤ちゃんに見立てて背負ってみたり、そこらの草をちぎって空き缶に入れてご飯にしてみたり。早朝にはお姉ちゃんなのか、20リットルくらいのタンクに水を汲んで運んでいた姿を見かけたので、お手伝いの後の遊びの時間だったみたいです。

2012年10月15日月曜日

隣の晩ごはん

2日目のキャンプ場の手前の村。カメラが好きな子とそうでない子がいるのは当然ですね。

この地域に足を伸ばす目的を登山だけに設定してあるならいろんな意味でキャンピングがベストアンサーです。一方で同時に地元民との交流も視野に入れるなら途中の何泊かを民家におじゃまして寝床(文字通り冷たい床もありうる)や夕飯をシェアすることも可能だそうです。きっと忘れ難い一晩になるでしょう。ダニと南京虫との交流が必ずおまけでついてくる点で私は今回は遠慮しました。

2012年10月14日日曜日

スマイル0円

おおげさな装備で私があるいた登山ルートは、地元の人にとっては単なる生活道路に過ぎません。山頂アタックの日でさえ、日曜だったので、山の向こうの市場に買出しにいくという人々にどんどん追い抜かされていました。

ルート上では頻繁に道端やカーブの向こうに物売りの少年が突然現れます。我々の姿を尾根の向こうに見つけ、土産物を手にして待ち構えていたのでしょう。品物はこういう小さい箱から毛糸の帽子、牛の角で作ったショットグラスなど。接客?態度も控えめで遠くの村から来た、などと聞かされるとつい財布に手がのびるのです。

2012年10月13日土曜日

オラが村

まあ急峻な谷が限りなく続く山の中に1週間いたわけですが、エチオピアの山のすごいところはそのどこにでも人家があるって点です。

展望の開けたポイントで休憩して景色にひたっていても、絶対民家やトタン屋根が目に入ります。世界と隔絶しているような丘のてっぺんにも家と畑があったりします。マサイマラの人家と違って嫌な感じは決して受けません。

農業と放牧に適した豊かな土地が最初にあって、そこにずっと前からヒトが住みつき生活を営み、20世紀に北米から輸入された国立公園という概念を借りたまではいいが居住者は追い出さなかった政府の優しさ。そういったものがごちゃまぜになって私の眼前に提示されただけだったのですから。

2012年10月12日金曜日

ひとつ屋根の下

エチオピアの中央部から北部にかけては3,000メートル級の山々が連なっていて、このあたりを「アフリカの屋根」とも呼ぶこともあります。大陸のちょうど中央の位置にもあたるし、植民地になったこともなく気位も高い国民性なので、アフリカをまとめるというイメージにも合致するのは単なる偶然でしょうか。
明確な身体的特徴を共有する(肌が黒っぽい)10億人余がひとつ屋根の下で仲良く暮らすことを理想とするのがAU(アフリカ連合)ならば、あんちゃん役は誰だろう。カダフィ大佐が最も近づいたけど殺されちゃったし。ウガンダ大統領も結構いい線いける。長女役はたまに発言が暴走するジンバブエがいいでしょう。ケニアは個性に欠ける、というのが私の意見です。

2012年10月11日木曜日

きまぐれサンセット



2連泊したギーチキャンプ(海抜3600m)の夕暮れも印象的でした。

ここに来るまでにひねってしまった右足を椅子の上に放り出してページを繰るオランダ人、そして彼の泊まる山小屋。

夕焼けと濃霧が一時にやってきた2日目のキャンプ場の空には羊をねぐらへと追う子供らの声がしばらく響くのでした。

2012年10月10日水曜日

エチオ的サンセット

エチオピアにいたのはたった10日間でしたが、夕焼けをじっくり見る機会が随分あったように思います。空気が澄んでいるしケニアよりは高緯度だから光線が斜めに入ってくる感じも好ましかったし、なにより自分の体調と周囲の自然との両方に耳を傾ける毎日だったので神経もいつもより研ぎ澄まされたんでしょう。
登山2日目のキャンプ場、青黒い空と羊飼い。あるいは最終日のキャンプ場。山小屋のスタッフと彼らの子供達の背を照らす最後の夕陽。どちらも忘れがたい色味です。