2012年10月15日月曜日

隣の晩ごはん

2日目のキャンプ場の手前の村。カメラが好きな子とそうでない子がいるのは当然ですね。

この地域に足を伸ばす目的を登山だけに設定してあるならいろんな意味でキャンピングがベストアンサーです。一方で同時に地元民との交流も視野に入れるなら途中の何泊かを民家におじゃまして寝床(文字通り冷たい床もありうる)や夕飯をシェアすることも可能だそうです。きっと忘れ難い一晩になるでしょう。ダニと南京虫との交流が必ずおまけでついてくる点で私は今回は遠慮しました。

2012年10月14日日曜日

スマイル0円

おおげさな装備で私があるいた登山ルートは、地元の人にとっては単なる生活道路に過ぎません。山頂アタックの日でさえ、日曜だったので、山の向こうの市場に買出しにいくという人々にどんどん追い抜かされていました。

ルート上では頻繁に道端やカーブの向こうに物売りの少年が突然現れます。我々の姿を尾根の向こうに見つけ、土産物を手にして待ち構えていたのでしょう。品物はこういう小さい箱から毛糸の帽子、牛の角で作ったショットグラスなど。接客?態度も控えめで遠くの村から来た、などと聞かされるとつい財布に手がのびるのです。

2012年10月13日土曜日

オラが村

まあ急峻な谷が限りなく続く山の中に1週間いたわけですが、エチオピアの山のすごいところはそのどこにでも人家があるって点です。

展望の開けたポイントで休憩して景色にひたっていても、絶対民家やトタン屋根が目に入ります。世界と隔絶しているような丘のてっぺんにも家と畑があったりします。マサイマラの人家と違って嫌な感じは決して受けません。

農業と放牧に適した豊かな土地が最初にあって、そこにずっと前からヒトが住みつき生活を営み、20世紀に北米から輸入された国立公園という概念を借りたまではいいが居住者は追い出さなかった政府の優しさ。そういったものがごちゃまぜになって私の眼前に提示されただけだったのですから。

2012年10月12日金曜日

ひとつ屋根の下

エチオピアの中央部から北部にかけては3,000メートル級の山々が連なっていて、このあたりを「アフリカの屋根」とも呼ぶこともあります。大陸のちょうど中央の位置にもあたるし、植民地になったこともなく気位も高い国民性なので、アフリカをまとめるというイメージにも合致するのは単なる偶然でしょうか。
明確な身体的特徴を共有する(肌が黒っぽい)10億人余がひとつ屋根の下で仲良く暮らすことを理想とするのがAU(アフリカ連合)ならば、あんちゃん役は誰だろう。カダフィ大佐が最も近づいたけど殺されちゃったし。ウガンダ大統領も結構いい線いける。長女役はたまに発言が暴走するジンバブエがいいでしょう。ケニアは個性に欠ける、というのが私の意見です。

2012年10月11日木曜日

きまぐれサンセット



2連泊したギーチキャンプ(海抜3600m)の夕暮れも印象的でした。

ここに来るまでにひねってしまった右足を椅子の上に放り出してページを繰るオランダ人、そして彼の泊まる山小屋。

夕焼けと濃霧が一時にやってきた2日目のキャンプ場の空には羊をねぐらへと追う子供らの声がしばらく響くのでした。

2012年10月10日水曜日

エチオ的サンセット

エチオピアにいたのはたった10日間でしたが、夕焼けをじっくり見る機会が随分あったように思います。空気が澄んでいるしケニアよりは高緯度だから光線が斜めに入ってくる感じも好ましかったし、なにより自分の体調と周囲の自然との両方に耳を傾ける毎日だったので神経もいつもより研ぎ澄まされたんでしょう。
登山2日目のキャンプ場、青黒い空と羊飼い。あるいは最終日のキャンプ場。山小屋のスタッフと彼らの子供達の背を照らす最後の夕陽。どちらも忘れがたい色味です。

2012年10月9日火曜日

カナリア軍団

登山中にはかなりの数の小鳥を見かけました。こちらもその中の一羽でエチオピアの固有種だそうです。

今回は自分としては初めてなのですが、300mmのレンズとボディ(キャノン製、合計重量約2キロ)を登山中にずっとたすきがけして運びました。鳥を撮るには望遠としては不足なのですがこれ以上重いと嫌だなぁと正直思う半面、今回の同行者はもっと重いオリンパスをしかも2台携行しての登山だったのですごい人だなあと後ろ姿を見ながら思ったのでした。

2012年10月8日月曜日

狼(の餌)

お次はぐっと小さくなってネズミ様。登山4日目のキャンプサイト以降にずいぶん見かけるようになりました。地中に掘ったトンネルの中で暮らしているようでした。大きさはハムスターより一回り大きいくらい。

本音はこのネズミを主食にしているエチオピアオオカミを見たかったのですが残存個体数は50頭以下と聞いていたし、やっぱり見かけることはありませんでした。数年後には地球上からいなくなっているかもしれないこのイヌ科の動物を救うには観光化と政府主導による住民の教育しかないと私は思うのですが。