2014年12月31日水曜日

さよなら最低イヤー

ケニアの観光業に携わる誰もが口にするのが「今年は2008年の暴動後よりもひどかった」ってこと。
 
エボラの風評被害はタンザニアどころか南アやモロッコまで及びました。ルフィジ川の夕焼けでも見ながら来年は持ち直すよう祈る、それしかできません。今年も日本はもとよりロシア、ドイツ、米国、ソマリアなどからご愛読ありがとうございました。

2014年12月25日木曜日

赤道聖夜

ケニアでもほとんどのホテルやロッジならクリスマスの飾りつけをします。玄関口などが多いですね。
 
今週フラミンゴの数を数えにボゴリア湖へ行った帰り道、湖から5分の場所にあるホテルをのぞいて来ましたがやはりこんな感じでした。赤道にほど近いんですが定番から外れないからこそ共通文化と呼べるのでしょうね。

2014年12月24日水曜日

多雨クリスマス

ナイロビは4日連続で雨が降っています。
 
エルニーニョ現象と関係があるのかないのか、12月としては珍しいです。明日から全国的にクリスマス休暇に入りますから地方への足に影響が出そうです(道路の水没、運賃値上げ、事故の増加etc)。ウィルソン空港でコーヒーを飲んでいたらカレン方面から恐ろしいほどの黒雲が迫って来ました。

2014年12月23日火曜日

フラ再び

ナクル湖にフラミンゴは多少戻っていました。昨日の時点で湖畔に一列並ぶくらいはいました。コフラミンゴに加えてパステルピンクのクチバシが美しいオオフラミンゴも数十羽いました。日中は避けて早朝か夕暮れ直前に行くと浅瀬に集まっているのでコンパクトカメラでも記録しやすいでしょう。

2014年12月16日火曜日

ビスクイット

先日市内のスタンレーホテルにあるカフェでマンUの試合を90分観戦していましたが、隣のロビーでは一度もチェックインの客が来ませんでした。ケニアの観光業は危機的状況を実感しました。
 
さて、ウェイトレスのひとりが話しかけてくるけど意味不明なので3度ほど聞き直したら「デ・ギアの調子は上向きだね」みたいなことなんです。恐らくマンUのキーパーであるスペイン人のデ・ヘアのことを言っていたのでしょう。彼らの共通語スワヒリ語は日本語と同じく表音文字なので見たままで発音して何の疑問も持ちません。レストランにいけばオレンジ「ジュイス」やチョコチップ「ビスクイット」を頼まないと食事にありつけません。

2014年12月14日日曜日

IUCNグリーンリスト②

ただしケニアも手放しでは喜べない事情があります。選ばれた2つの保護区とはスイートウォーターズ・チンパンジー園を擁するオル・ペジェタと、もうひとつはケニア山の麓のレワで、どちらも白人が主導する私営保護区だからです。深読みするならケニアの国や自治体が管理している公園に対して通信簿で1をもらい、逆に白人の運営方法に花丸をもらったようなもんですから。
 
実際にマサイマラなどはここ数年で新規の宿が雨後の筍のように増えましたし、サファリ中には気持ち悪いくらい多くの車を園内で見かけます。眼前の豊かな自然が10年後もそこにあるかどうかの保証ができない点がケニアについて最も私が心配する部分です。地方分権が幅を利かせている最近のケニアですが、自然保護くらいは中央政府がトップダウンで長期的な視点から行わないとめちゃくちゃになると思うんです。

2014年12月13日土曜日

theホリデイ

自宅から乗合いバスに75円払うとジラフセンターにほど近い大型ショッピングモールに連れてってくれます。
 
ケンチキを含めていろんな店が入っており駐在員の味蕾を楽しましてくれるんですが、私の中でのナンバーワンは生ビールを飲ませてくれるSirvilleというお店。アルコール度6.2のアンボセリという銘柄は飲み干した後のげっぷまで(失礼!)良い香りがしますよ。

赤ならず緑

人間以外の動物に少しでも興味がある人なら所謂レッドリストについては知っているでしょう。日本からはトキやセマルハコガメが絶滅の恐れあり、としてエントリーしちゃっているあれです。
 
先月シドニーで開かれた国際会議では上記の団体が新コンセプトとしてグリーンリストというのを発表しました。レッドリストが動物種に注目しているのに対してグリーンのほうは世界に散らばる国立公園や保護区の中でも特に頑張っているところを表彰しよう、という気持ちから始めたのだそうです。ケニアからは堂々の2ヶ所が選ばれていますので、世界遺産をいくつ訪れたかで競っている日本人の好奇心をくすぐるには十分なネタだと思うんですけどね。

2014年12月12日金曜日

ケニア51歳

今日はケニアの独立記念日。国立競技場ではいろんな政治家が持論を展開してお祭りは終了しました。
 
政府役人の上のほうと教育関係は今日から長期休みを取る向きが多く、戻ってくるのは新年2日以降です。一年で最大のホリデーシーズンというのもうなずけます。お金がある家族はモンバサ辺りに出かけてビーチではしゃぐのが定番になっています。観光客業の落ち込みで悲鳴を上げ続けてきたビーチ沿いのホテルもクリスマスと新年だけはケニア人で部屋が埋るので一息つける、と新聞にありましたがそのとおりでしょう。

新ホテル②

来年3月にはナイロビにも大型ホテルが誕生予定です。それはラディソンBLUでまだ工事が続いています。クラウンプラザの斜向かいですから彼らにとっては面白くないでしょうね、きっと。
 
在住者の我々にとってはどんなレストランが入ってくれるのか、そこが興味を引かれるところです。美味しい中華か日本食が入ってくれるといいんですけどね。

2014年12月11日木曜日

新ホテル

今週ナクル湖の公園の中にロッジが新規オープンしました。ケニア全土に広がるソパグループの新顔です。
 
場所は湖の南、滑走路の近くです。ソパ系列の例にもれずたぶん静かで奥まった立地にあるのでしょう。今度見て来ようと思います。エボラで客足が途絶えている中での勇断ですから応援してあげようと思います。

2014年12月9日火曜日

風に立つ獅子⑥

「瞳の美しさ」はそこらじゅうで目にしますから撮影に苦労はしないでしょう。
 
小説を読んでないのですがウガンダとの国境の医療施設が舞台になっているようで、一方ロケではナイロビから一時間くらいのマチャコスという町にある病院を使ったみたいです。わざわざウガンダまで行っていたら大変なので。

2014年12月8日月曜日

風に立つ⑤

「草原のゾウのシルエット」はアンボセリ周辺で撮影できるはず。乾季なら埃が舞って逆光がより映えるんですが、今は小雨季ど真ん中なのでどうなるでしょう。緑の絨毯と朝日というのもそれはそれで美しいんですけども。

2014年12月6日土曜日

さだまさし④

「白い雪」については2度歌われていますね。
 
タンザニアからセスナを飛ばして山頂の上空を周回すると氷河がわずかしか残っていないことが分かります。前の晩に雨が降れば雪となって地表だけは白く覆われますから、撮影隊はてるてる坊主を逆さに吊るして祈っているかもしれません。今は小雨季で結構雨が全土で降っているのでチャンスではあります。

2014年12月5日金曜日

風に立つ③

「キリマンジャロの白い雪」は当時はいっぱいあったのでしょうが30年経った今ではほとんどの万年雪は流れ出してしまい残っていません。
 
白い様を見たいなら雨季の4、5月に来てください。前夜の降雪がしばらくは残っているので雪化粧が見られます。主人公はケニアを拠点にしていたようなので山を見たというなら恐らくこんな感じのアンボセリからの眺めだったでしょう。

2014年12月3日水曜日

歌詞まさし②

「百万羽のフラミンゴが一斉に飛び立つとき暗くなる空」を監督は映像化したいでしょうね。
 
ナクルではなくボゴリア湖で待機してカメラを空に向けながら群れが飛び立つまで何時間も我慢するのか、あるいは時間がないなら石を湖に投げ込むか、あるいは野良犬を群れに放つのか。最後はCGでコピペするかもしれませんね。それほど今ケニアで大群を見るのは難しくなっています。

2014年12月2日火曜日

歌詞まさし

さだまさしさんの「風に立つライオン」の歌詞について特にケニアのどこを想定しているのかに注意して研究してみました。
 
「ビクトリア湖の朝焼け」に触れていますね。歌のモデルになった青年はケニアに赴任していたそうですから湖畔の町の中では最も都会のキスムを訪れた際に日の出を目にしたと想像します。でもキスムは日本で言えば東京湾みたいに引っ込んだ位置にあって広々とした水平線は見えません。タンザニアのムワンザのほうが広大さで優りますがロケには行かないでしょう。

2014年12月1日月曜日

ワンミリオンクラブ

今年は120万人を超えると強気だったタンザニアの観光客数の予想ですが、エボラのせいで届かないかもしれませんね。ここナイロビでも欧米人は見かけますが日本人は全く来なくなりました。
 
新聞の論調ではエジプトなんか遺跡だけで数百万人も集めるんだからタンザニアは自然もあるしもっとできるはずだ、って感じでしたけどちょっと乱暴な比較かなぁと。。
 
ちなみにサファリ主体で年間100万人以上の観光客を集めている国は(というか遺跡や見るべき文化遺産が無いか保存されていない国)はケニタンに加えて南ア、ザンビア、ボツワナ、ナミビア、ジンバブエだそうです。

2014年11月24日月曜日

ココナッツとカレー風味

なんか続けてモンバサと北部国境のマンデラ郡でテロや暴動が起きて大勢亡くなったみたいですね。
 
どちらの都市も随分前から外務省によって「検討」か「延期」しろって名指しされているエリアですから、危険情報をご金言とあがめる日本の旅行代理店にとっては対岸の火事どころか「火星の土砂崩れ」くらいなもんでしょう。
 
最近笑えたのは国立農業大学で学生が暴動を起こして焼討ちや略奪を行ったのですが、授業再開の条件として学校側が出したのは「ひとりあたり6000円の罰金」でした。学生からの反応は「高すぎる」。えっ、値段なの?って突っ込んでしまいました。国が変わるといろいろですね。

2014年11月23日日曜日

ハザベ⑦

彼らが数千年の長きに渡って狩場としていた土地を後にした私はマニャラへ戻る途中に赤タマネギを満載したトラックと何度もすれ違いました。後で聞くと周辺がどんどん畑地として開かれているそうです。大昔にはいなかったクシ語系のイラキ族やニロティック系のダトガ族が牛とヤギを連れて流入している問題もあります。
 
彼らの伝統ライフと狩りにおける特殊能力は大田区の工員が持つそれと同じなのかもしれませんが、前者は5年か10年でこの世から消え去る危険をはらんでいます。ナイロビでぬくぬくと暮らす私ができることと言ったら彼らに関するドラマを世間に広め、会いたいという人が現われたら現場へ連れて行ってあげて、当人が何かを感じ取る舞台を用意してあげる、それだけなので悲しい限りです。

2014年11月22日土曜日

ハザベ族⑥

適当な木陰を見つけて車座になった後、ハンター達はささっと持参した道具で火を起こしてリスを料理しはじめました。
 
毛はあぶって取り除き、頭は「待て」の姿勢でじっとしていたイヌにプレゼント。少年達の間では獲物は平等に分けるルールがあるようでした。私も少しおすそ分けをもらいました。赤くて味の濃い肉でした。しばらくしてエボラが頭をかすめましたが原因はコウモリとされているし、リスとコウモリは生息環境を異にするから問題ないと納得しました。

また羽ばたかず

2年に一度って頻繁すぎるとの批判もあるサッカーのアフリカ選手権ですが、イーグルスとの愛称を持つナイジェリアが予選落ちしました。競り負けた相手はコンゴ。ここではちょっとした驚きを持って受け止められています。最多優勝を誇るエジプト(愛称ファラオ)も落ちました。
 
エボラの震源地の中からはギニアが本大会へ進みます。大会のホストはモロッコだったのですがエボラを恐れて開催を事実上辞退し、予選も途中で失格となりました。毎回最後、最後と称されるコートディヴォアールの黄金世代に今回こそ優勝して欲しいと思います。

2014年11月17日月曜日

ケニアdeまさし

さだまさしさん原作の小説が映画化されるそうで、現在ケニア各地で撮影が行われています。日曜日にはスケジュールの合間を縫って日本人学校の体育館で無料コンサートまで開いていただきました。
 
数十年前にケニアに飛び込んだ実在の人物についての曲が小説、映画のベースになっているそうで、さださんが当人と出会ってからずっと温めてあった想いを87年にやっと曲として発表し、その後で俳優の大沢たかおさんから小説化を頼まれて5年後にやっと書き上げ、数日前に初めてナイロビに降り立つまでにはそういう長いストーリーが背景にあったそうです。公演からも熱い気持ちがこちらに伝わってきました。
 
映画は来年春の公開を目指しているそうです。コンサート中に何度も触れていた「ケニアと日本の距離を縮める」きっかけにその映画がなれば私も嬉しいです。

2014年11月16日日曜日

ハザベ族⑤

目的の藪を取り囲んだ彼らは包囲網をせばめながら最後はリスのわき腹に矢を打ち込みました。使用した矢は先端より数センチ下にとうもろこしの軸がはめ込んであり、小さい動物の体を射抜かないような工夫がしてありました。
 
獲物は無造作に腰のベルトに突っ込んで、さっさと次の獲物を探し始めた姿には美しささえ感じました。この後は樹上のスズメより小さいハチドリを一羽仕留めてから終了となりました。

2014年11月15日土曜日

大地の子

もうとげとげのアカシアの林の中とか砂地とか風のように歩いて行くので、狩りの瞬間を見ようと思ったらこちらも同じペースでの移動が要求されるんですがほとんど無理です。
 
一番背の高い少年はバブーンの毛皮を背中にかけていました。動物を混乱させる効果があるそうです。しばらくしてリスを目にしましたが藪の中へ姿を消しました。私はてっきり諦めて彼らは次の獲物を探すのだろうとばかり思っていたんですが。。

2014年11月14日金曜日

ハンティング宿

集落を後にしてガイドさんの案内で別の場所に移動すると若い少年4、5人が張った一時的なキャンプに着きました。動物に合わせてハンターも転々と移っていくそうです。
 
焚き火の周囲で休憩中らしいところにガイドさんが交渉して、日も高い10時だというのに狩りのデモンストレーションをしてもらうことになりました。こうなると私なんか言葉も通じず、本来の生活リズムをぶち壊す時間に現われて無理言って、もう恐縮するばかりです。ごめんねって心の中で謝りました。そうして4人の若者は犬2頭を引き連れて出発し、私はスニーカーの紐を締めなおして彼らの後をついて行く準備をしたのです。

2014年11月13日木曜日

ギフトはじめました

女性のグループから少し離れたところに男性達が集まって道具の手入れをしていました。
 
彼らにとって狩りの道具は命の次に大事なものでしょうから、矢の一本を見ても真っ直ぐなのは当たり前で、ホロホロ鳥の羽で飾りがつけてあったりコテできれいな模様を押してあったりしました。このコーナーはギフトショップの性格も持つらしく、言葉は通じませんが何とかして鳥打ち用の矢を一本購入できました。

2014年11月9日日曜日

せ、責任とってください

今旅行会社に電話かメールでケニアの問い合わせをすると「取り扱いを中止しております」という言葉の後、コンサル力に自信がある場合は「手配旅行としての出発」を勧められるかもしれません。
 
それは旅行者本人が主体の旅で、旅行会社は「代理と取次ぎ業務だけを善良な管理者としての立場から行う」そうですから、現地で何があっても保証をする必要はない、と本に書いてあります。
 
そんな制約ばかりの手配旅行を誰が日本で申し込むでしょうか?だったらインターネットで現地のサファリ会社にコンタクトを取る人がいたとしても批判はできませんね。現地に着くまで安心できないって点では両者とも同じレベルですから。

スーパーフリー

また日本でエボラ騒ぎがあったようですね。発症者が入国するのは時間の問題でしょうから発覚後の丁寧な対応と一般市民への啓蒙が大事だと思いますけどね。政府が当地にお金を出すそうですね。南アのニュース番組で3秒ほど触れていました。
 
ケニアとタンザニアではまだ発見されていません。直行便を中止したことと、ほぼ人権侵害ですがあちらの国籍の人を入国拒否しているので日本より厳格かもしれません。自己申告でしか発見できないのは日ケに差はないですから。
 
今日本を見ていて悲しいのは、正しい情報を判断してからそれでもケニアへライオンを見に行きたいと強い気持ちで望む人がいたとしても、旅行会社のほとんどがウェブサイトもパンフレットからも削除しているので渡航手段が見つからないことです。旅行者の選択権を奪っている点においてそれらの会社は風評被害に加担していると思いますね。

2014年11月8日土曜日

森の後見人

ハッザ人の暮らすエリアはタランギレよりもバオバブが多く生えています。その一本を住居にしているというので見に行くと最近掘ったような穴があり、首長の寝床だと説明されました。
 
バオバブの実は年中利用可能で、栄養素がミルクの2倍、オレンジの6倍と本に書いてあります。タランギレでは増えすぎたゾウがバオバブに穴を開けたりかじったりしますが、ここでは天の恵みですから切り倒すこともなく千年以上も大切にされてきたのです。バオバブの森を見たいならばエヤシ湖に来るべきです。周囲で見られる人間活動の増加によってサイもゾウもライオンも消え去った土地なので、車から降りてバオバブを囲んで集合写真が撮れますから。

2014年11月6日木曜日

びっくり語

私がこの村で耳を澄ましていたもうひとつの理由は彼らの言語の特殊性です。
 
言語学によると世界の言語のほとんどは吐き出す息によって音を発するそうですが、ハザベ語は吸込み音と舌打ち音とクリック音が多用される点でボツワナのコイサンマンと共通するそうです。偶然の一致だったらすごくないですか?アルファベットにない音なので例えばウサギは「!onga」、山芋は「//ekwa」と研究者の間では表記するそうです。ガイドに促されてやってみたけどもちろんできませんでした。
 
つのだひろの☆マークはたぶんハザベ語とは関係ないです。

祝スマフォ対応

ところで、iPhoneユーザーの皆様にはご不便をかけていた「サファリのすすめ」のほうですが、ついにスマホでも記事が読みやすいようなデザインに変更して再出発できました。過去の記事の移植が終わっていないソフトオープンではありますが、タンザニアのセルーについての視察レポートを新規アップしております。ブログと合わせてご覧ください。

2014年11月5日水曜日

ショック③

コーディネーターを乗せて車で出発、樹齢100年を越すバオバブの並木を通り抜けたあたりに集落がありました。
 
近づいていくと女性と子供が地べたに座っているのを目にしました。男性の姿が見えないのは理由があって、彼らの仕事道具である毒矢に子供を近づけないためだそうです。ケニアのマサイみたいに歓迎もしてくれないところがリアルです。
 
静かな村。たまに老婆がバオバブの実を石で叩き割り、貯蔵も練ることもせずそのまま口に運ぶ様子をこちらもじっと見守ります。

カルチャーショック②

我々がエヤシ湖の東岸に着いたのは10時を過ぎていました。数千年の間この辺りの荒野で過ごして来たとされる、狩猟採集を生活基盤にしている人々に出会うのが今回のテーマでした。彼らは自分達をハッザ(単数形)またはハザベ族(複数)と呼んでいます。資料によると彼らのライフスタイルは現在世界中に散らばってスマホをいじっている人々が大昔にやっていたけどとっくに忘れてしまった日常そのものだそうで、その点で学術的にも貴重だそうです。
 
ハッザ人は朝晩の涼しい時間に狩りに出かけるそうですから、彼ら本来のリズムを尊重するならエヤシ湖近辺の宿に泊まり、朝は6時頃から集落に押しかけるといいです。8棟しかないデラックスなテントキャンプが一軒あります。

2014年11月2日日曜日

驚異のCTP

次に紹介したいのはアクセスの良さはマニャラに次いで2番目くらいですが体験できる内容はショック度NO1のCTPです。
 
コーヒー畑に囲まれたカラトゥに前夜は宿を取り、翌朝は暗いうちにエヤシ湖へ向けて出発します。全行程が未舗装ですが乗合いバス(なんと英国製ランドローバー使用)の定期ルートでもあるのでそれほど揺れません。2時間ほどで我々と現地の人々をつないでくれるコーディネーターの詰所に到着します。飛び込みもいけそうですが事前アポを入れておいたほうが確実でしょう。

2014年11月1日土曜日

判定シロ

先日リベリアを出発したケニア人はベルギー経由でした。現在、例の西アフリカ3か国とケニアを結ぶ直行便は運休中だからです。
 
夜の11時に着いてからすぐ強制的に血液を採取され、市内の検査機関で陰性であることが確認できたので5時間後に開放されました。徹底度は怪しいですがもちろん今後21日間は見張っておくそうです。
 
ナイロビには国際的な検査設備があるので今回のようなスピード判定が可能になっています。びびるのは東アフリカの他国には同様の設備がないので被疑者が出た場合はカンパラやダルエスサラームから血液をナイロビに運んで結果を待つことになるそうです。

2014年10月30日木曜日

豆談義

タンザニアの中でも西部の熱帯地方ではロバスタ種が栽培されていてインスタントコーヒーの原料になるそうです。こちらはキリマンジャロの名前は使用できません。つまりキリマンジャロとは新潟米、のようなざくっとしたイメージを与えるための用語であり、決してコシヒカリとか具体的な品種を指すと思ってはいけません。
 
英国王室に献上されていたという事実を膨らませつつ日本では古くからの宣伝が成功した結果、現在の3大人気銘柄のひとつという地位にまで成長したようです。欧米ではそれほど人気は無いようですが、そもそも日本が高値でTZ北部豆を買い占めているのが原因かもしれません。

コーヒー宿③

同じくカラトゥにあるザ・マナーは道路を外れてコーヒーのプランテーションの間を延々走った先にあります。利便性からも、また雰囲気からも立ち寄るにはふさわしくない場所ですが、コンセプトも内装も際立っていてお金を使う用意がある人にはお勧めです。
 
ソパホテルの系列でも高級ラインに属していて、1メートルも悪路を車で走りたくない人向けの「スカイサファリ」というパッケージで主に使われる宿です。

2014年10月29日水曜日

珈琲農園②

前述のギブスファームほどの眺めはないけどメイン道路から近くてランチ休憩にぴったりな宿がファームハウスです。
 
広い庭があってその先にコーヒーの木々が広がっています。庭に面したテラスでバイキング風のお昼ご飯を楽しめます。年代ものの豆ロースターがあって、もちろん淹れたてのコーヒーはコクと香りに優れています。

ンゴンゴ珈琲

マニャラから25キロ先にあるカラトゥという町でもコーヒーの栽培が盛んです。いくつかのホテルは畑の中に建てられていてゲストにコーヒー散策ツアーを提供しています。写真はギブスファームという宿の庭からの眺めです。ンゴロンゴロへの途上にあるので立ち寄りに最適です。
 
ここで取れるコーヒー豆もキリマンジャロと呼んで差し支えないんですが、最近は農園独自のブランド名で出荷することもあるようです。

2014年10月28日火曜日

パランジャ母さん

日本人はコーヒーを愛していますが一人あたりの消費量で言うとルクセンブルグや北欧の人々と比べて1/8に過ぎないそうです。でも国単位なら米独に次いで世界3位だそうです。
 
CTPのメンバーであるこの村のおっ母さんの視点から述べますと、自分の畑から産するアラビカ豆のほとんどは日本の業者が買ってくれます。価格はアルーシャやメルーなどタンザニア北部が一番高価だそうで、南部のアラビカ種はちょっと安めでほとんどドイツが買うらしいです。植民地時代に自分で開墾した畑ですから無理も無いです。ちなみに日本で93年に厳格化した表示法によると、タンザニア産のアラビカ種を水洗処理していればどんな豆でもキリマンジャロと呼んでいいそうです。
 
村ツアーに参加すると毎日自分が口にしているものに疑問や興味が沸き、上記のようなことを調べるきっかけになるのです。

CTP一例

伝統的生活様式体験ツアー(CTP)は2012年発行の冊子によればタンザニア全土で41が登録されています。今はもっと増えているかもしれません。
 
マニャラに次いでお勧めなのはアルーシャから程近いテンゲルという村のプログラム。メルー山の麓ではコーヒーやバナナの栽培が盛んでメルー人のおばちゃんのお宅にお邪魔します。息子がトレーニングを受けたので英語で流れるようにいろんなことを教えてくれます。締めくくりは煎りたて、挽きたてホッカホカの一杯のコーヒーです。

2014年10月27日月曜日

軟禁ケニア

羽田でも隔離患者が出たそうですね。
 
ケニアでは明日12人がリベリアから護送?されてきます。十分な観察期間を彼の国で設けた後に許可が出ました。ケニア人ってアフリカ各地で働いているようで、彼らは国営ケニア航空が乗入れ中止の通達を政府から受けてからずっと帰国難民になっていました。費用は政府が払うとか。到着後はもちろん21日間の軟禁状態に置かれるそうです。

2014年10月26日日曜日

チャリサファリ③-③

サイクリングの途中では伝統的な木彫りの工房を見学したり、地元で愛飲されているバナナビール(低アルコール度)の醸造所をのぞいたりします。時間と曜日が合えば小学校や保育園に立ち寄ることもできるのでガイドさんに希望を伝えてください。クリスマス休暇とか朝の授業の途中では不可能、または先生に嫌がられることもありますので。
 
ンゴロンゴロとマニャラでのサファリの間にこのような1、2時間を挟むと旅行に彩りが加わります。覚えていて欲しいですがケニアではこんな楽しく安全な散策はできません。

2014年10月25日土曜日

もうイナイジェ!

WHOによると1、2週間以内に抗エボラの血清が利用可能になるそうです。近いうちに直接患者に投与されるようになるでしょう。
 
他方、一時ナイジェリアは二次感染者を出したものの最後の発症から21日を経た後にエボラフリー宣言を出しました。スペインと米国を含む各国はナイジェリアによる封じ込めの成功例から学ぶことは多いでしょう。

2014年10月23日木曜日

チャリサファリ③-②

広大な国土に126もの部族が(By大使館)暮らすタンザニアの美点は平和であることだけに留まらず、それぞれが持つ伝統文化を観光業と結びつけながら保存を模索している点だと思います。
 
カルチュラル・ツーリズム・プログラム(CTP)と総称されるそれらの団体は各地にあり、この自転車サファリも例外ではなくマニャラの近くの村にあるCTPオフィスが請負い、多少のトレーニングを受けた地元の青年がガイドとして勤務しています。チャリとヘルメットは各種サイズが揃っています。

2014年10月22日水曜日

チャリサファリ③

最後に紹介するのは真打ちのマニャラ湖(の隣の村)で行うサイクリング。ンゴロンゴロとその兄弟のクレーターが並ぶ崖に沿って清らかな水が年中利用可能なので周辺では農業が盛んで水田さえあります。村自体はそれほど大きくないですが前二者と違って村人の普通の生活を垣間見ることができる点で際立っています。

チャリサファリ②

メルー山への登山口であるアルーシャ国立公園は、マウント・メルーNPと呼ぶべきと私は思っているのですが、小さいながらも多様な景観が特色で、さらに自転車サファリが許されています。森林が続く場所ではコロブスモンキー、大小の湖が集まるエリアではフラミンゴを見るでしょう。サイクリング以外にも前述の会社がカヌーを貸し出していて、文字通り視点の異なるサファリが楽しめる公園として当局は売り出したいみたいです。

2014年10月21日火曜日

サファリオンカヌー

カヌーのように準備や決め事の多い内容を日本人の期待するとおりに提供するのはアフリカでは簡単ではありません。その点、湖畔に事務所を構えるこの業者グリーンフットプリントはしっかりしているほうです。
 
2時間のカヌーツアーは現場に到着後の支払いなら35ドル。別途森林保護費が13ドルかかります。湖までの移動手段が簡単ではないので普通は車を所有するサファリ会社に全体としてアレンジを頼むようになるでしょう。