2011年12月31日土曜日

HHDイブ

セロネラ付近の日の出は、単に平坦なマサイマラよりも岩場などあり変化に富む風景なので面白いです。ワイルドライフロッジの建つ大岩のてっぺんから臨む朝焼けは、ピンクがかってそれはそれはいいものでした。
 
今年のブログ総数は平均で3日に一本というペースに留まりました。10月に自分で南アの旅行を探したときにネット上の情報のありがたさを再認識しましたので、来年はもっと頻繁にアップして旅行をお考えのみなさんの一助になろうと宣言いたします。

2011年12月30日金曜日

HHD②

先々週、マサイマラで気球に乗ってきました。実に6年ぶり。 
 

あいにくの曇り空で朝焼けも余り印象的ではありませんでしたが、空から獣道やツチブタが開けた穴ぼこなどがよく見えました。8月ならヌーの大群が一面に広がるんだろうなぁと想像をたくましくしているうちにスーっと着陸しました。

2011年12月28日水曜日

HHDカウントダウン

年の瀬ですね~。南緯1度ちょいのナイロビでは実感しにくいですけど。
 
自分の気持ちを盛り上げるため、これまでに見てきたアフリカの日の出(HD)を振り返ってみたいと思います。題して初日の出カウントダウン(HHDCD)。
 
ボツワナのオカバンゴの朝焼けはきれいなだけではありません。その太陽光線は夜中に飛び回っていたハマダラカの華奢な体(外骨格)を電子レンジ状態にするほど強力ですから我々に昼間の快適な時間をもたらしてくれます。さらにはクロロキンの副作用で見た悪夢もその美しさですっきり吹き飛ばしてくれるのです。

2011年12月27日火曜日

料理の鉄人④

マラ川沿いに建てられたテントロッジ、アシュニルの食事は人数が多い日はバイキング、少ない日は一品ずつ運ばれるセットメニューです。
 
到着日の夜はがらがらだったのでコンソメスープからスタート。すっきり透明でとてもおいしかったです。メインはラザニアか魚のムニエル。どちらもうまく作ってありました。
 
翌日は客も多く昼、夜ともにバイキングでしたがそれぞれおいしかったです。前日の昼にマズすぎるナポリタンを食べていたのでアシュニルはいい口直しになりました。

2011年12月26日月曜日

料理の鉄人③

次に良かったのは、まぁ値段も張るので当然ですが、バルーン後のブッシュブレクファスト。
  
木陰で草原を見渡しながら飲むシャンパン(イタリア)の味は、これまでの人生で経験の無いものでした。朝だからと理由をつけてオレンジジュースと混ぜてしまっても誰も文句つけませんし。若大将じゃなくても「幸せだなぁ」とつぶやくこと間違いありません。

2011年12月24日土曜日

料理の鉄人②

ベースキャンプでは朝も一品ずつ出てきます。この日は曇り空だったのでテーブルを外に出してくれてフルーツサラダからスタート。
 
自家製パンと目玉焼き、大量のベーコン、パンケーキなど。
 
正面の林の中にはちょっとした展望台がありまして、そこからマサイマラの動物達が眺められるという趣向も気持ちいいものでした。夕方にはそこでカクテルサービスも用意してくれるそうです。

2011年12月22日木曜日

料理の鉄人

マサイマラに5泊してきました。思えば15回も食事をしたのですから今回はランキングをつけてみます。
 
「ベースキャンプ」はタレックゲートのすぐ隣にある自称エコロッジ。オバマ大統領も泊まったことあります。私もエコをかじったことあるので疑いの目をもって訪れたところ、逆にすっかりファンになってしまいました。
 
食事は朝からセットメニューで毎回おいしくて、昼でもデザートがついてきます。だいたいの調理は奥にあるメインキッチンで行い、最後の仕上げを食堂の横にあるオープンキッチンでわざわざやってくれるのです。ジューっとか聞こえてきます。僕なんかそういうの好きですから横目でずっと見ていたりして。写真は2日目のランチに出た野菜キッシュ。この後のデザートはメレンゲを焼いてパッションフルーツソースが添えてありました。

2011年12月4日日曜日

ヌーいまだマラ

マサイマラのガバナーズキャンプから教えてもらった情報ですが。。
 
「11月1日に2000頭のヌーがセレナ側から渡ってきた」
 
「11月4、5日に5000頭のシマウマ、1000頭のヌーが渡った」
 
そうです。今年は8月から雨の降り方が変でした。ヌー達もタンザニアに向かわずいまだにケニア内でうろうろしているようです。
 
※写真、ヌーはヌーでも南部の亜種。違いが分かりますか?

2011年11月30日水曜日

エアーサファリ④

機内の小さい窓を通して動物はちらほら見かけますので空からのサファリ、と呼んでも差し支えはありませんが旅行会社のパンフレットに大きく書くと後日クレームになる可能性があります。
 
夕方は特に動物が活発になるという話でした。でもこちらの都合で空を高速で移動している上に光が弱いですから、もし動物様に出てきて頂いてもいい写真を撮るのは困難です。一応右下に写っているのはゾウです。動物達が踏みしめてできた水路も見えますね。
 
デルタではサファリカーが無制限に入ってきて草原を荒らすようなことは起きません。またマサイマラみたいに悪い政治家が土地の権利書を書き換えてから細切れに転売して私腹をこやすこともできないでしょう(年中洪水)。ですからオカバンゴは、この世界がどんなにひどいことになっても最後まで動物達の楽園として残っていくはずだと思います。

2011年11月29日火曜日

エアーサファリ③

1時間では到底デルタの全域はカバーできませんが、流域の辺縁で乾燥している地域からだんだん水の多い上流へ飛ぶに連れて風景は変わってきます。
 
左斜めに走っているラインは家畜の移動を制限するフェンス。白っぽい場所は植物が塩分を長年地面の砂から吸上げた結果、しょっぱすぎる土壌になって植物が死に絶えたエリアです。
 
白い場所の周囲はまだしょっぱくないのでナツメヤシやファンパームがそこを囲むようにぐるっと生育しています。10月は乾季の終わりなのでこんな風景ですが、3月頃になればこの島を残して周りは水没するはずです。

2011年11月28日月曜日

エアーサファリ②

デルタを潤してきた水がようやく途切れるあたりの町、マウンにある小さな空港から定員5人のプロペラ機は飛び立ちます。
 
参加料金は機材あたりで計算されます(この点も上から目線ですね)。私の場合はちょうど5人が参加意思を表明したので75ドルで済みましたが、ひとり参加の場合は寺山修司ばりの一点豪華主義的決断が必要とされるでしょう。
 
ちょうどこの数日後に飛行機が落ちたのですが知らぬが仏で大変に楽しむことができました。

エアーサファリ①

ブログタイトルのとおりサファリについて書かないとまた怒られちゃうので。。
 
先月の南部アフリカ旅行は私の予算が限られていたことから「混載&移動ばっかり&キャンピング」という三拍子揃ったものでした。「見て回る」というよりは「点から点へ毎日移動」という感じ。それでも要所要所でオプションツアーに参加したので結果的には金持ちツアーと同様の内容を押さえられたのかな、と自負しています。
 
そんな「サファリカースト制度」が最も激しいレベルで施行されているボツワナですが、金持ちでもキャンパーでも同様に楽しめるのがこのオカヴァンゴ上空遊覧飛行なのです。

2011年11月25日金曜日

ケニアの雨季

このところナイロビでは毎日雨です。11月は短い雨季にあたるのでおかしくはないですが、日中も降り続く点が昨年と異なります。
 
雨が降っていても動物は公園内にいますから観察はできます。ただし川が増水して橋が渡れなくなったり壊れたりすると移動に制限がでてきます。2006年はクリスマス頃がちょうどこんな感じの天気だったのを思い出しました。
 
*写真は雨上がりのオルペジェタ

2011年11月23日水曜日

駅伝ケニア

鉄道網なんか全然発達してないケニアですが、千葉で行われた国別対抗駅伝で優勝したそうですね。日本でケニア、という文字を目にする稀な機会のひとつが走ることに関連します。あとは何でしょう。最近では戦争とか旱魃関連でしょうか。
 
反対にケニアの日刊紙を読んでいてJAPANの名が出てくる機会も少ないですが、最近では陛下入院、スズキのモトGP撤退、ドルトムントの香川選手くらいは目にしました。

2011年11月22日火曜日

20日目:エチオピア上空

朝の便で島を後にします。空から見たら浅瀬に発達したサンゴ礁の美しさがより伝わってきました。機材は立派なエアバス330-200、映画を一本見ました。
 
エアモーリシャスはJNBのターミナルBに到着するので、トランジットデスクで乗り換えの手続きをしてからターミナルAへ移動します。途中で名物のビーフジャーキーを買い込んでから3週間前に来たときと同じルート、エチオピア経由でケニアへ向かいました。

機内ではいとこが日本に住んでいるというエリトリア人のCAと話し込み、その子が猿、猿と呼ばれていじめにあっている状況についてのアドバイスを考えているうちに着陸態勢に入ってしまいました。
 
ナイロビ到着時は思ったとおりロスバゲに合いましたが3週間の旅で鍛えられたので僕の心は折れませんでした。2日後に発見されましたし上出来でしょう?これからじっくり旅が私に与えてくれた数々のものごとについて反芻、咀嚼、消化していきたいと思っているところです。

2011年11月21日月曜日

19日目:プリンスモーリス

今回の旅の最後を飾るにふさわしいホテルをご紹介します。どっかの王子様が泊まるようなこのホテルは敷地、部屋、プールともにこじんまりとしていますが、雰囲気やデザインから「お客がゆっくり過ごせること」を最優先にして作ったんだなぁという感じがびんびん伝わってきました。ケニアにこういうのありませんから。
 
敷地の半分が濃い緑のマングローブに覆われた湾に面していて、自慢の海上レストランもそちらにあります。こちらで頂いたブイヤベースとミルフィーユの味を思い出す度によだれが。。

18日目:ベルマー

モーリシャスでの4泊目は同じ東海岸の中ですがホテルを移動しました。こちらのBelle Mare Plageは読み方は分かりませんがいろんな点で素晴らしい大型ホテルでした。
 
通されたのは基本カテゴリーのJRスイートでしたが気を使っていただいたみたいでビーチのすぐ隣の、しかも3階の部屋でした。ベランダに続くドアを開け放しておくとインド洋のさざなみが室内に聞こえてきます。こんな贅沢は初めてです。
 
Life is too short to drink bad wines
 
などとワイン愛好家はほざきますが、私の頭には「ボロ部屋に泊まっているような無駄な時間は人生には与えられてはいない」というフレーズが勝手に浮かんだのでした。

17日目:ボーリバージュ

モーリシャスって面白い場所です。大洋のど真ん中に海底火山の噴火によって急にポコっと島ができまして、適した温かい海水と十分な太陽光線によって浅瀬にはサンゴ礁が発達して人間が泳ぎやすくなりました。
 
インド/アフリカ航路の上にあったのでオランダ人がまずは住み着き、その後で捨てられて、次にフランスのものになりました。ドードーなどの固有種は人間を見たことないので次々に殺されて、オーストラリアと並ぶ「大虐殺の島」になりました。またプランテーションでの労働力として黒人がいっぱい本土から連れて来られました。
 
他地域の例に違わずイギリスがちょっかいを出してきて結局は統治者となり奴隷を解放したりしましたがフランス的な社会構造は維持しました。それで新聞、TVは今でもフランス語です。フランス人は奴隷の代わりにインドからの労働者を大量に「雇用」したので今では人口の52%はインド系住民です。

サトウキビ、観光、衣料の生産が主な産業。特に観光は「金のある人が少数来ればいい」というポリシーで、チャーター便は受け入れていないしサービスの質を高めようと努力が随所に見られるし、どっちつかずのケニアとはえらい違いなのです。

2011年11月20日日曜日

16日目:ボーリバージュ

お部屋は一番安いカテゴリーでもこんな感じ。十分広くて使いやすかったです。
 
リゾートでの滞在は5年前にガラパゴスで乗ったクルーズ船でのそれと似たような感じでした。食事はそこで取るしかなく、シュノーケリングとかグラスボトムボートとか無料で参加できて、かつビールが高い点において。
 
食事はフランスの影響か、クロワッサンなどケニアの5倍は美味しく、バイキングの量も種類も豊富で、特にデザートコーナーは素晴らしかったです。

2011年11月19日土曜日

15日目:ボーリバージュ

今日からいよいよ旅の最後、リゾート滞在が始まります。だまされたりお腹を壊すこともないでしょう。
 
モーリシャス航空に乗って出発、夜便だったのでさんご礁は空から見えませんでした。空港からは埼玉の田舎(私の実家)みたいな風景を1時間ほど走り、島の東のビーチに到着。これから3泊はボー・リバージュという大型リゾートでゆっくりするのです。

2011年11月18日金曜日

14日目:JNB

さすがに昨日の12時間サファリは疲れたようでドイツ人より遅れて朝食へ。2日過ごしたロッジに別れを告げてヨハネスブルグへ出発。途中、世界第3位の規模だという渓谷で写真ストップ。
 
宿泊は同じブティックホテル。日暮れ前に通りにあるイスラエル料理屋で飲んだミントティーは大変美味しかったのです。夜は中国人の握るすし屋を3軒ハシゴしましたがどれも最低。ナイロビのほうがまだましです。
 
ホテルに戻ると旅仲間だったアイルランド人の「ウィスキーはシングルモルトに限るぜ」という言葉が浮かんできて、バーで一杯やりました。確かにうまい。飲みながら衛星放送でラ・リーガの試合を見ていると今度はいっしょにキャンプしたスペイン人の看護婦のことが思い出されます。今後オリンピックの話題を目にする時は、ツリーハウスで同宿したロンドン在住のエキセントリックな編集者を思い出すでしょう。
 
旅行に出ると金盗まれたり下痢したり試練が待ち構えていますが、一方で部屋に閉じこもっていても得られない沢山のことを発見、体験できるんですね。そんな原点に気づくことができた旅になりました。

2011年11月17日木曜日

13日目:ツリーハウス

ここも例にもれず朝はインスタントコーヒー。南アにはコーヒー文化が無いことを知ったのでした。
 
この日は日帰りで目玉のクルーガーNPへ。2万平方kmのうち北部の1/4くらいしかカバーしませんでしたが植生や風景は多様で、動物もいっぱい見られました。公園内には舗装道路があり、ドライバー達(白人)は無線を使わずアフリカーンス(南アの白人の言語)で情報交換をするなど、ケニアと違う点がいろいろ興味深かったです。公園内には写真のような展望レストランもありました。
 
6時に日が沈み、急いでロッジに戻っても8時着。疲れきってディナーの後はみんな部屋に直行していました。

12日目:ツリーハウス

早朝から白人ガイドによるウォーキングサファリ。ためになる情報がいっぱいで楽しめました。ブランチの後、2軒目の宿へ移動させられました。
 
実はここが予想外に良かったのです。沢沿いの急斜面に写真のような樹上ルームが建っていて、部屋には階段でアクセスします。トイレとシャワーは下のほうの別棟にあるので部屋は寝るだけの目的になりますが、トムソーヤーというか隠れ家チックというか。アバーデアのツリートップスより私は気に入りました。

2011年11月16日水曜日

11日目:バルレ

今日から再び4日間の乗り合いツアーに参加して、南ア最大の国立公園、クルーガーを探索します。参加者はドイツ人5名、スイス2名、アメリカン1名、そして私。
 
ここでも南アの適当さに衝撃を受けます。ノマッドという会社のツアーに金を払ったはずなのに当日は違う会社に丸ごと委託されていました。トラックのはずがトヨタのバンが来るし、キャンプ泊のはずが写真のようなロッジに勝手にグレードアップされているし、最低なのは公園内に2泊するはずが公園外の3泊に変更されている点。
 
日本では許されるはずのない大幅な変更が満載でしたがぶち切れる前に様子を見ようと思いそのまま出発しました。しかし南アもでかい国ですね。首都からクルーガーまで450キロ、道路は素晴らしくスムーズですが6時間も揺られるとさすがに疲れました。
 
訪れるはずだったゾウの保護センターも全く素通り。文句言う気力も起きません。初日はクルーガーに隣接するバルレ私営保護区の中にあるロッジに宿泊。夕方から夜にかけてサファリを行いヒョウが見られたのでちょっと気分が持ち直しました。

2011年11月15日火曜日

10日目:JNB

再びヨハネスブルグに戻ってきた10日目は、空港ホテルでは芸がないのでロンプラを参考に「鮨屋が連なる」という噂の町、ノーウッドを選んでみました。
 
ツアーは空港で解散になったので、自分で3000円くらい使ってタクシー移動、宿泊はアスコットというブティックホテルを事前予約しておきました。元はアパートだった建物を改造したのが見え見えですが、部屋は十分広くて1号室にはバスタブもあり文句なかったです。

2011年11月13日日曜日

9日目:パラペ

ほとんどの人は滝周辺で2、3泊遊んでから空路で帰途に着く予定を立てていましたが、私を含めて何人かは陸路でJNBへ戻る方法を選びました。
 
ジンバブエからボツワナに戻った後はひたすら南下、途中でKFCの昼食を仕入れ、最後は2日目に泊まった同じパラペのキャンプに到着。途中からボツワナ名物の雷と豪雨にやられて大変でした。

2011年11月11日金曜日

8日目:VICフォールズ

この日は観光が満載で食傷気味。早朝サファリでリカオンを見て、国境を越えてジンバブエに入り、午後はビクトリアの滝で水をかぶり、夕方はアフリカゾウの背中に揺られ、夕食はツアーの打ち上げパーティ。
 
今夜は本ツアーにおいて初めてのホテル泊。翌朝はレストランの窓から水煙が見えるという好立地でした。オーストラリアから来ていたおじいちゃんは「ああいう煙はサトウキビの収穫時にうちの近くで見かけるぞ」とのこと。確かにここらへんは現地語でMOSIと呼ばれ、その単語には煙の意味もあるそうで。。

ZIM側には象サファリの他にもバンジージャンプ、カヌー、ライオンと散歩など楽しそうなオプションツアーがいっぱいありましたが、私はそんなこと全然知らなかったので1泊しか予定に入れませんでした。この点悔やまれました。

7日目:チョベ川

ナミビアとの国境でもあるチョベ川に車が近づくにつれて道路脇で休むゾウの姿を見かけるようになります。ゾウが多いって宣伝してるアンボセリでもこんなにはいません。本によればアフリカで最大の個体数を抱えるのがチョベだそうですから納得できますね。

昼には川沿いにあるキャンプサイトに到着。リバークルーズは3時からだっていうのでテント建てたり日記つけたりビール飲んだりして涼しくなるのを待ちます。

クルーズは大サービスでたっぷりやってくれるのでキャンプに戻るのは日没後の夜。蚊が多いなぁと思いながら専属コックが作ってくれる最後のディナーを味わいました。

2011年11月10日木曜日

6日目:グウェタ

朝食後、カヌーに乗りこんで2日を過ごした島を後にします。マウンの町に戻ってから本屋でオカヴァンゴだけについて書いた図鑑を見つけて購入。
 
明日はもうひとつの見所、チョベの観光なのですがやはり国が広すぎて今夜は途中の町、グウェタで寝ます。ここのキャンプサイトは敷地内に巨大なバオバブがあって夕陽に照らされたその姿はどこか神話的でした。またバーエリアがファンキーでビールも各種冷えていて連泊したくなる場所でした。

5日目:オカバンゴ

都合2泊したこのキャンプサイトは巨大なソーセージツリーの木陰になっていて快適でした。すぐ裏には自然にできたスイミングプールがあり、一日一回出かけては小魚やヒルと友達になっていました。
 
滞在中はウォーキングサファリやボートトリップに参加し、空き時間には紅茶を沸かしたり昼寝をしたりしました。ご飯はガイドが毎食作ってくれます。「これから2時間何してもいいわヨ」なんて状況はナイロビにいる時には絶対無いので逆に落ち着きませんでしたが、これが休暇の醍醐味かなぁとも思いました。

10月のボツワナは一年で気温が最も高いらしく、以後は雨が降るようになり蚊が増えるそうです。このキャンプサイトも6月頃には水面下に沈むそうです。

2011年11月9日水曜日

4日目:オカバンゴ

8日間の「あいのり」ツアーの最初のハイライトがやっと4日目にやってきました。2万平方キロ(セレンゲティより広い)の大地を潤すオカヴァンゴです。
 
アンゴラの高原で降った雨がはるばる900kmも離れたボツワナに流れ込んできて、最終的にその水はカラハリ砂漠の手前で蒸発しきって消えてしまいます。ナイル川やアマゾン川の河口でも三角地帯(デルタ)が形成されますが、オカヴァンゴの面白いところは同じ規模のデルタが内陸部にあって出口がない点に尽きます。
 
今回はオカヴァンゴを楽しむ最も安い方法であるボート&中州でのキャンピングに参加しました。次回は小型飛行機でもっと上流へ乗りつけて少人数のテントロッジでフルコースのディナーを楽しもうと思っています。できればガールフレンドと。。

2011年11月8日火曜日

3日目:マウン

3日目はボツワナの広さを感じる日となりました。国土の南半分がカラハリ砂漠を始めとする乾いた土地なので言っちゃあ悪いですが見所は何もありません。エアコンつきのBMWでどんどん走るだけです。
 
夕方にようやくマウンに到着。オカバンゴデルタへの出発地点として成長を続けるこの町は例えるならタンザニアのアルーシャでしょうか。
 
眠るのはやはり自分で立てたテントの中。この頃には参加者13人の顔と名前がようやく一致してきて世間話もできるようになってきました。

2011年11月7日月曜日

2日目:パラペ

この日はひたすら高速道路を走って陸路でボツワナへ入国するだけの移動日。車内で文字が書けるほど南アの道路は整備されていて驚く。
 
ボツワナはダイヤモンドのおかげでひとりあたりのGDPが地域で最高だそう。だからなのかビザ代は無料。ケニアと正反対でどんどんいらっしゃいという態度に感心する。
 
泊まりは平凡な町にあるキャンプサイト。写真のような22人乗りのトラックでの旅行を楽しみにしていたのに前日に「故障したからBMWのエアコンつきの快適なミニバンに変更しといたよ」って気軽なメールを手配会社よりもらってずいぶん落ち込んだのだった。日本ではあり得ないサービスである。

2011年11月5日土曜日

1日目:JNB

ナイロビを3週間ほど留守にしてアフリカ南部の国を旅行してきました。感じたことは色々ありますので少しずつ披露して行きますが、とりあえず宿泊地を日付に沿って振り返ってみたいと思います。
 
初日はアジスアベバ経由のエチオピア航空に乗って南アフリカのヨハネスブルグへ飛びました。治安に不安があったので空港から車で5分のサザーンサンホテルをネット予約しました。
 
ここの最大の利点は空港から無料のシャトルバスが20分おきに出ている点。しかし部屋もきれいだしプールもあるし翌朝の朝食も量、種類とも豊富で満足でした。

2011年9月25日日曜日

縞々

ケニアの選手がとうとうマラソンの世界新記録を出しましたね!
 
それは置いておいて、週末にナイロビNPに行ってきました。早朝から昼までずっと曇り空で気温が上がらず、涼しいサファリができました。
 
しかしこのシマウマ達の見る方向には何がいたんでしょうか。ライオンが潜んでいたのかもしれませんね。

2011年9月18日日曜日

ジャカランダ

今年のジャカランダの開花はすこし遅いようで。。
 
自宅の前の木は一本だけかなり前から咲いていました。ナイロビ市内で一応並木と呼べるのはパナフリックホテルの前、あるいはナイロビ駅の線路沿いですが、あちらはまだ3分咲きといった様子です。
 
ナクル市に向かう幹線道路沿いも10月になれば満開になるでしょう。

2011年9月10日土曜日

川渡り情報⑥

9月5日@マラシンバ
 
「大群の渡りが2度に渡って見られた」
 
「翌日はライオンがヌーを仕留める一部始終を観察できた」
 
※こちらのお客様はマラシンバからお弁当持参でマラ川の東岸にある高台で待機し、渡りが始まってから川岸まで車で降りていって観察できました。写真は参考、昨年のマラセレナ近く。

2011年9月3日土曜日

川渡り情報⑤

8月26日@マラシンバ
 
「3頭くらいがちょろっと渡ってから後が続かなかった」
 
「ナイルワニに引きずりこまれた1頭を目撃できた」
 
※写真は昨年、マラセレナ側より撮影。今年は群れの到達が遅く、かつ川岸に多すぎるくらいの車が待ち構えているのでヌーも渡れる場所を探して右往左往しているみたいです。

2011年9月2日金曜日

新生ケニア

9/1はケニアという国にとって非常に重要な一日になったと、私は、思います。国民の休日にしてもいいくらい。なぜならオランダのハーグ国際法廷に元大臣を含む3人が立たされたからです。
 
まだ予審の段階ですが罪状は「2007年の大統領選挙後の暴動、虐殺に組織的に関わった」というものです。
 
3人のふてくされた顔が全国で映し出された意味は大きいです。権力者でも悪いことをすれば罰せられるという国際社会ではごく当たり前のことが国民に伝わりましたし、さらに来年8月に控えた大統領選挙に向けて悪事を画策している輩への強いメッセージにもなったからです。

2011年9月1日木曜日

金3つ

陸上王国の名のとおり、女子マラソンをはじめ長距離ですでに3つの金を取ったケニア。その第一陣がジョモケニヤッタ空港に降り立ちました。
 
でも大げさな歓迎が無かった理由を考えてみました。日本だったら成田はとんでもないことになるはずなのに(室伏選手みたいに)。

陸上は純粋な個人競技である、国民としての自覚がケニア人には無い、陸上ではある一部族が突出して強いから、などがすぐに思いつきました。

2011年8月1日月曜日

川渡り情報④

7月29日@マラシンバ
 
「3頭の兄弟(姉妹?)チーターをゆっくり観察できた。移動中の1頭のクロサイも見られた。川渡りは見られなかった。」
 
※写真は昨年、マラセレナ付近にて

2011年7月28日木曜日

川渡り情報③

7月18日@ムパタサファリクラブ
 
「川渡りを2回見た。最初はちょろっと。2度目は大群だった。」

※写真は昨年の8月、マラセレナ側からムシアラ側を撮影

2011年7月27日水曜日

川渡り情報②

7月5日@ポリニ・ライオン・キャンプ
 
「ヌーの大群だけでなく川渡りも見られてラッキーでした」
 
※写真は昨年4月のヌーなど1頭もいないタレック川にて

2011年7月25日月曜日

川渡り情報

忙し過ぎて自分ではマサイマラには当分行けそうもないので、ナイロビに戻ってきたお客様から動物の話を色々聞きだしてはいっしょに興奮したりしています。以下にその一部をご紹介します。
 
7月20日@リトルガバナーズ
 
「ヒョウがトピをしとめた直後のシーンに遭遇、首に噛み付きながらずるずる地面を引きずって行った。マラ川の北岸にヌーは集まってはいたが川には死体があるばかりで渡りは見られなかった。」

*写真は昨年のマラ川にて

2011年6月28日火曜日

文化遺産

乱発気味、価値が下落中の世界遺産リストですが、モンバサにある古い要塞、フォートジーザスがケニアでは珍しい文化遺産として認定されました。昨日のボゴリア湖に次いで連続ヒット。入館料の800シリングを値上げする口実にしないでくれ~と思いました。

2011年6月26日日曜日

祝!世界遺産

日本でも小笠原が認定され盛り上がっているユネスコの世界遺産リストですが、ここケニアでもナクル湖を始めとする大地溝帯の湖が登録されました。
 
これで旅行会社のパンフレットのケニアのページにようやく「世界遺産」マークを入れることができますね。私の懸念は火事場泥棒、盗賊のようなケニア政府がこれに乗じて公園の入園費を90ドルに値上げするんじゃないかという不安だけです。

2011年6月25日土曜日

ンボガ

またせこい話で恐縮ですが、ベランダで家庭菜園に挑戦しております。野菜全般を語彙の極端に少ないスワヒリ語ではンボガと呼びます。
 
例の赤土は酸性土壌なのかうまく育つ種類は限られますが、ネギやニラ、青じそ、ほうれん草などは調子が良いです。ゆでたソバの薬味なんかに最適ですよ。

2011年6月24日金曜日

オクラ②

頼まれてはいませんがまたオクラの話。
 
このネバネバ野菜はおひたしにもいいですよ。塩でもんでさっとゆでてから、昆布だしと麺つゆで一夜漬け。もし鰹節が食品棚の奥に眠っていたら食べる時に振りかけてみたりして。
 
よく「季節の野菜を食べて元気になろう!」ってスローガンがありますが、そんなこと言ったらケニアに来てオクラを食べない法は無いでしょうね。

2011年6月22日水曜日

オクラ

サファリじゃないんですが。。
 
日本でも手に入るあの緑色で星型の野菜は実はアフリカ原産です。ケニアでもokraと呼ばれていて道端の売店でも常に置いてあり、しかも安い!
 
今日はみじん切りにしてカツオだしで味付けして片栗粉でとろみをつけて、最後に卵でふんわりとじました。冬のケニアにぴったりなメニューです。

2011年6月21日火曜日

ハゲコ@ツァボ


キラグニロッジでの朝食時、レストランの前の池にハゲコウが姿を現すことが多いです。こういう大自然の風景とセットで見れば気持ち悪さは軽減しますね。この日はしきりに水面をつついていたので前夜に落ちて死んだカブトムシか何かを探していたのでしょう。