2017年4月23日日曜日

けもフレ|あの火山のモデル

週末に第四話まで一気に観てしまった「けものフレンズ」。メディアミックスという手法で製作されているそうなので、サファリの国の住人のブログで一言二言加えても歓迎されるはず。
 
第一話の舞台はサバンナになっていてマサイマラのような草原が美しく再現されていますが、途中で出てくる不思議な火山。あのなだらかな稜線と急に突き出す山頂部分はケニア山にそっくりです。アニメのような画角でケニア山をカメラに収めたいのであればライキピア郡のオルペジェタ私営保護区がベストな場所ですよ。サーバルに出会うのは非常に稀ですけど。

2017年4月21日金曜日

けものフレンズ

アフリカをもっと人気のある旅行先にしていくのが私の役目だと信じていますが、アニメ業界から思わぬ援護射撃がありました。深夜アニメである通称けもフレ?のヒロインはサーバルキャットのアバター、ぬいぐるみ、役柄、だそうですね。ケニアでは耳にしないアニメなのでグーグルTrendsで調べたところ、去年のクリスマスくらいから注目され始めたようで、今月初めに検索頻度がピークを迎えたみたいです。番組のファンのうち何パーセントが22時間のフライトを我慢して本物を見に来てくれるのかな。。

2017年4月19日水曜日

トリップアドバイザーのベスト航空会社

過去にやったこと無かったらしいのですが、トリップアドバイザーが遂に航空会社についても独自の集計に基づいてランク付けをしました。
 
栄えある一位はやはりエミレーツ。表紙のコメント「素晴らしい機内エンタテインメント」とは正にそうで、私も最近乗った時に「君の名は」「シンゴジラ」「母と暮らせば」「ビリギャル」などをむさぼるように観ました。そういえば乗客に不安を与えないように映画内の航空機墜落シーンなどはカットしてあるらしいので、やはり一度はオリジナル版を見たほうがいいことは付け加えておきます。

2017年4月18日火曜日

中公新書「ヒト」

ほぼ同じタイミングで島泰三著「ヒト」を読み終えて、二段落分だけゲラダヒヒが触れられていました。草の根を掘り起こすために指をスコップ状に曲げて地面に突き刺すそうです。知識がなく観察力も低かったので2012年に行った時にはその行動に気づかなかったことが悔やまれます。次はいつ行けるかなぁ。

2017年4月17日月曜日

ゲラダヒヒ@ナショジオ4月号

今月のナショナルジオグラフィック日本版ではエチオピアのゲラダヒヒが特集されているようですね。ウェブ上では一部しか読めないようになっているので私は次の帰国時に本屋で買うしかなさそうです。
 
巻頭の写真に似たものをストックから探してみました。5年前に行ったときの記憶がかなりの精度で甦って来たのは驚きでした。この草が主食の珍しいサルはエチオピア北部のゴンダールという町まで飛行機で飛んで、その先にあるシミエン山脈にだけ棲んでいます。この地域で独立の気運が高まっているのでレベル2の危険度が発出されていることだけが残念です。登山のレポートは以下でもご覧になれます。
 
シミエン国立公園レポート2012年

2017年4月15日土曜日

ケニア2016年

さだまさしと大沢たかおの映画も逆効果でしたね。ラストシーンで主役がケニアで殺害されるんですから。
 
ナイロビでは三年以上もテロが発生していないし、危険情報のレベル2が発出されているのはスラム街だしサファリ客が足を踏み入れるはずもない、と百回ほど言ったのですけど、パンフレットを刷って配布してくれるような大手旅行会社は一社としてツアー再開を決断してくれませんでした。こんな行き詰った状況においては突如アフリカへの愛がほとばしっていて前例を覆すことも辞さない勇気を持ったヒーローまたは企業が現れてくれることを祈るばかりです。

2017年4月14日金曜日

ケニアの2015年

15年も振り返れば逆風ばかりの年でした。。
 
二月には下から3、4番目の危険度が出されているニジェールにツアーを出した西遊旅行が問題視されて、翌月にはわずかに「十分注意」エリアに指定されていたチュニジアでクルーズ船の客が襲われて日本人が3名亡くなるという事件もありました。これらが誘発したのだと思いますが、外務省も締め付けの方向へ逆ブレしてしまい、九月には危険情報の文言が「お勧めします」という感じから「止めてください」に変更されました。こんな強い言葉で言われたらツアー再開を尻込みするのは当然ですよね。

2017年4月13日木曜日

ケニアの2014年

2013年は三月に大統領選挙があったものの平穏に終わり、九月にショッピングセンターがテロにあったけど観光客はまだいっぱい来ていました。
 
翌2014年は最低でしたね。エボラの噂が徐々に広まり、八月には赤字で困っていた大韓航空が便乗して「一時」運休を発表、いまだに戻ってきません。9/2には我々ステークホルダーに相談など一切なく外務省が空港を含むナイロビ全域を「渡航是非検討」エリアに指定したものですから、昔の危険度2という言葉への拒否反応が消えない大手旅行会社の全てはケニアツアーをすぱっとやめてしまったのです。ケニアと日本人のために働いていたケニア人はこうして見放されたのです。