2017年4月13日木曜日

ケニアの2014年

2013年は三月に大統領選挙があったものの平穏に終わり、九月にショッピングセンターがテロにあったけど観光客はまだいっぱい来ていました。
 
翌2014年は最低でしたね。エボラの噂が徐々に広まり、八月には赤字で困っていた大韓航空が便乗して「一時」運休を発表、いまだに戻ってきません。9/2には我々ステークホルダーに相談など一切なく外務省が空港を含むナイロビ全域を「渡航是非検討」エリアに指定したものですから、昔の危険度2という言葉への拒否反応が消えない大手旅行会社の全てはケニアツアーをすぱっとやめてしまったのです。ケニアと日本人のために働いていたケニア人はこうして見放されたのです。

二ヵ月後には引き下げ

世界中が心配してくれたしアナン元事務総長が与野党間の仲裁役にもなってくれて、二月末にはセレナホテルで両陣営が合意会見を開きました。一ヵ月後に外務省が危険度を一段階引き下げてくれた後は日本からのツアーも再開され、そのまま2012年までケニアを訪れる観光客数は右肩上がりで回復して行きました。日本に暮らす日本人に対する需要喚起という点ではやはり旅行会社の役割は欠かせないと改めて思った2008年でした。

2017年4月12日水曜日

ピークの四日後に発出

ケニア全土で2007年に起きた混乱の原因は大統領選挙の結果発表に関する疑わしさでした。年末から略奪やデモが激しくなりピークは1月3日だったという話です。それから四日も経った1/7に日本の外務省はケニアに対して渡航是非検討という格付けを与えました。私としては年始に来てくれた観光客もほぼ帰った後だったのでラッキーでした。この1/7以降に大手旅行会社が取った対応は前回も触れた自主性などは一切考慮されず、各社横並びで「ツアー中止」というものだったので私はがっかりしたのを覚えています。

2015年までは安全情報

02年以降は海外安全情報へと名称変更がなされ、危なさの度合いが優しい文言で表されるようになったものの、業界が長い人々は引き続き下から二番目のレベルを「危険度2」と呼んでいました。
 
文字面よりも重要だった変更点はその効力に関することで、外務省は法的抑止力はなく旅行会社の自主判断に委ねるという態度に一大転換を図ったのです。ホームページをよく読むと今もそう書いてあります。そういう中で発生したのが2007年12月30日とそれ以降のケニア各地で見られるようになる騒乱だったのです。

2017年4月11日火曜日

かつては危険情報

日本の外務省がおふざけに走るに至るまでの経緯をいい機会なので実体験も含めてここで振り返ってみたいと思います。
 
2002年4月以前は外務省提供による海外の情報は「海外危険情報」と呼ばれていたそうです。私はすでに大手旅行会社の契約社員をやっていましたが気にも留めませんでした。その時代は今と異なり五段階の危険度として表されていたのですが、悪いことに危険度2かそれ以上の場合は日本国から旅行会社向けにツアーの自粛が「通達」されていたそうです。この悪しき記憶が外務省の意図に反して業界内に滞留している点については後々述べていきます。

ゴルゴ13X外務省

欧米ではイースター、日本ではゴールデンウィークを控えて旅行を心待ちにしている人も多いでしょうね。そんな中、外務省がちょっとユーモアのあるところを見せる必要があったかどうかは疑問ですが、ゴルゴ13を指南役とした海外安全対策に関する情報を配信中であることは業界人くらいしか知らないはず。Gマニュアルと自分で名づけて悦に入っている番組は毎週アップされ6月まで続くようです。

2017年4月7日金曜日

ルワンダ行くんだ

ある調査によりますと、来るゴールデンウィークに際して人気旅行先のトップは台湾だそうです。別の機会にHISが発表した人気ランキングではハワイでした。
 
せっかくだったらゴールデンの名を冠するオレンジの猿を求めてルワンダまで遊びに来たほうがSNS上で自慢する時にインパクト生まれるのになぁ、と思いました。カタールかエチオピア航空を使えば日本から最短3泊6日で来れます。雨季だけど年中霧がかかっているのでそんなに辛い登山にはならないでしょう。

2017年4月3日月曜日

ロッジ売り出し中

タンザニアはダルエスサラームから海沿いに数時間走ったところに「海と森が出会う場所」というキャッチフレーズで知られるサーダニという国立公園があります。たまにですがゾウが海岸に現れるとか。ここにあるロッジが新聞広告で売りに出されていました。いくらくらいなんでしょうね。興味あるかたはブラッド・マーレーさんにコンタクトを取ってください。