2011年3月30日水曜日

MS: CAI/NBO

いよいよ4本目のナイロビ線。3席ずつの2列はやっぱり狭さが目立ちますね。カイロ空港の職員が先月来た時よりも明るく元気だったのは民主化の影響でしょうか。または思い込みか。。
 
覚悟はしていましたがナイロビに着いたら荷物が一個紛失していました。バンコク、カイロと2度も「1時間以内乗り継ぎ」だったので無理もないですけど。見つかったら連絡くれるように手配をして、夜中のタクシーに乗り込んで自宅へ出発しました。ちなみに荷物は当日の昼過ぎに奇跡的に見つかったのでした!

2011年3月25日金曜日

MS: CDG/CAI

昨日から数えて3度目のトリプルセブン。やっぱり個人スクリーンはあるし快適ですね。
 
しかしこの頃はまだ落ち着きを取り戻していなかったエジプトでしたが、隣はガイドブック片手にウキウキのフランス人夫妻。欧米の観光客は引くのが早いけど戻るもの早いもんだなぁ、と関心しました。でも4時間もワインなしで死なないのだろうか。。

2011年3月20日日曜日

農業国、フランス

パリからの帰途。チェックインを終えてから余裕が出たのでしょうか。胃袋でもフランスを覚えておこうと思いたちターミナル内のレストランでクロケットなるものを注文してかぶりつきました。皆の言うとおりパンが香ばしくて美味しいですね。つけあわせの野菜もケニアに負けない強い味がしました。鶏肉は普通。


エジプト航空は酒類の提供がないことを思い出し、慌てて搭乗ゲート近くのバーカウンターでシャンパン。グラスで7ユーロ。この一杯でようやくパリ観光の格好がついた感じがしたのです。

2011年3月18日金曜日

日はまた必ず昇る

ケニアより今回の災害で大きな被害を受けた全ての方へお悔やみを申し上げます。
 
狭い心であえて言えば、私の家族、親類は東北地方にはいなかったので無事でした。ただ原発の状況によっては「平和産業」である観光に関わるのはひとまずお休みして日本に戻る選択もあるのかなぁと思い始めています。
 
戦後の65年間はひとまず大きな問題もなくやって来れたのが不思議なくらい。僕らのおじいさんが立て直した日本を、僕らの世代がもう一度できないはずないですよね。

2011年3月10日木曜日

ちょこっとパリス

フランス語の路線図を解読する前に列車は出発。流しのミュージシャンと警察と西アフリカっぽい黒人が気になります。

なじみのある地名で最も近そうだったのはノートルダムでした。30分後に駅に到着。地上に上がると川と犬のウ〇コと観光客。写真を一枚撮ってからすぐに駅へ引き返しました。これが私のフランス初体験でしたが、独りで来る街ではないなぁと思いました。

2011年3月8日火曜日

TG: BKK/CDG

トリプルセブンは映画もいっぱい。海猿3、インセプション、Going the Distance(ドリュー・バリモア、遠距離恋愛でもうまくいくよってテーマですが得たものなし)、など観ました。
 
しかしパリの空港のデザインはすごいですね。本気かふざけているのか分かりません。鍾乳洞のようなエスカレーター。松本零士みたいな空中回廊。
 
ヨーロッパ大陸に降り立つこと自体が初めてだったのですが、だんだんと欲が出てきて「そうだ、パリ行こう」って思いたち、JRじゃなくRERBという列車の切符を買いました。

2011年3月7日月曜日

TG: NRT/BKK

「さようなら、日本」
 
ちょっと感傷的になった私がゲートへ向かうと「遅延」の文字。ずっこけますね。でもさすがは日本。待たせている間にジュースやら軽食やら謝罪のコメントやら色んなものが提供されます。
 
結局3時間遅れで出発し、バンコクで乗り継ぐはずだったカイロ行きには乗れませんでした。
係員からは「1時間後にパリ行きがあるのでそれにまず乗って、パリ経由でカイロに行けます」と言われ納得。成田から数えると「B777-300ERに3本連続で搭乗する」という快挙を成し遂げたのです。誰か表彰して。。

2011年3月6日日曜日

ギネス@一タミ

3週間の日本滞在はまたもやアッという間に過ぎて帰国の日。来た時には飛んでいたエジプト航空(MS)も3月いっぱいは日本線を「お休み」しているので、代わりにバンコクまで一度飛んでそこからMSに乗るという変則技になりました。
 
成田ターミナル1で日本最後のビールを楽しんでいると外には哀愁のジャンボジェットの姿。鯨みたいなA380も探してみましたがあいにく見当たりませんでした。