2012年10月31日水曜日

霧のような疑念

今月の最後はやっぱり山頂からの眺めで締めたいと思います。ここまで来ると植生も少なく地衣類ばかりになります。

エチオピア最高峰であるラス・ダッシェンは通常4,620mと表されますが、科学的な方法で調べると実際は4533m程度に落ち着くらしいです。私の携帯したGPSは4,530mを表示しました。
しかしそれが事実だとするとアフリカ第四峰の地位をタンザニアのメルー山に奪われてしまうので、アフリカ一誇りの高い民族にはたぶん受け入れられないはず。ここはひとつ大人の対応が必要とされる山なのです。

2012年10月24日水曜日

増えてるホテル

国連やNGOが値段を吊り上げているナイロビのホテルですが、このところ建設計画が続けて発表になりました。値下げにつながって欲しいものです。

すでに建設が始まっているのはあのケンピンスキー。タンザニアに3軒持っていたのですが最近全て売却したので東アフリカに興味ないのかと思っていました。市内と繁華街の間にあるので眺めや庭は無さそうですが敷地内は豪華にまとめてくるでしょう。
ラディソンは建設予定地に看板だけ立っています。クラウンプラザのあるアッパーヒル地区です。アコーホテルも計画があるそうです。ドバイを本拠にするアドレスホテルもナイロビとマサイマラにホテルを建てたいそうです。投資家は大統領選挙後も政府が転覆することはないと考えている表れだと思います。

2012年10月23日火曜日

いやはや超人だ


エチオピア人は登山中のランチにも手を抜きません。
この日は山頂を目指す日で朝の4時出発でした。コックさんは簡単な朝食で我々を送り出した後、日の出前にも関わらず圧力釜でスパゲティを作り、それをアシスタントが釜ごと担いで山頂まで運んできてくれました。おかげで温かい食事と美しい風景を同時に楽しむことができたのです。
下山開始後、空になった釜をかつぐ彼の姿は泳ぐように先を行き、結局我々よりも何時間も前にキャンプに帰着していたのです。

2012年10月22日月曜日

全部のせ中盛り

首都から数百キロ離れた、登山ルート上で最後となる町にあった食堂でも同様の料理が食べられる点においてエチオピア文化はすごいと感じました。この地域ではテフという穀物が育たないそうで、そのせいでインジェラに含まれる酸味が弱かったのが僕らの口にも合った理由でしょう。写真はミックスプレートというメニューで、お皿の上にインジェラを敷いて、その上に各種の料理をちょっとずつぶっかけて、手でインジェラをちぎっては具といっしょに口に運びます。

2012年10月21日日曜日

味の店、エチオピア

豊かな歴史を持つエチオピアが食文化においても周辺諸国を置き去りにしているのは当然です。
口にした人々の心に残り、拡散し、受け継がれていく味というものは、私が思うにルイ16世や始皇帝が命じて作らせたようなトップダウン方式か、または江戸時代のような成熟した市民社会が生み出す寿司のようなロングセラー商品のどちらかなので。

日本の主食が炊きたてご飯ならば、エチオピアではこのぞうきんみたいな見かけのインジェラです。雑穀を発酵させてプツプツ穴が開いた生地をクレープみたいに焼き上げます。主菜は牛、野菜、鶏肉などを煮込んだり焼いたり、まさかの生でユッケ風にしたり、工夫とバリエーションが見られます。写真はヒヨコ豆のペーストをひき肉と煮込んだシロという料理です。

2012年10月19日金曜日

首ったけエンジェル

古都ゴンダールの教会の屋根には褐色の肌を持つ首だけで飛び回るという天使の画がいっぱいに描かれています。300年の長きに渡ってその美しさは失われていないとか。

登山中に出会った子供達は、胴体こそありますが、お顔は天使にそっくりでした。特に白く輝くおでこと頬が忠実に再現されていることに気づくはずです。羊にヘッドロックはほどほどにしてあげてほしいけども。

2012年10月18日木曜日

サイの国

エチオピアをちょっと離れて南アに飛びます。
サイの密猟のペースが昨年よりも早いそうで、すでに455頭が密猟者によって殺され、この数はすでに昨年の総計をうわまるそうです。妊娠期間が16ヶ月ですし性成熟も遅いのでこの損失をカバーするにはどのくらいの年月が必要になるのでしょうか。

2012年10月16日火曜日

チェネック村

登頂も終えてあとは車で山を脱出するだけになった日の朝、散歩に出ると子供達がままごとをしていました。
ペットボトルを赤ちゃんに見立てて背負ってみたり、そこらの草をちぎって空き缶に入れてご飯にしてみたり。早朝にはお姉ちゃんなのか、20リットルくらいのタンクに水を汲んで運んでいた姿を見かけたので、お手伝いの後の遊びの時間だったみたいです。

2012年10月15日月曜日

隣の晩ごはん

2日目のキャンプ場の手前の村。カメラが好きな子とそうでない子がいるのは当然ですね。

この地域に足を伸ばす目的を登山だけに設定してあるならいろんな意味でキャンピングがベストアンサーです。一方で同時に地元民との交流も視野に入れるなら途中の何泊かを民家におじゃまして寝床(文字通り冷たい床もありうる)や夕飯をシェアすることも可能だそうです。きっと忘れ難い一晩になるでしょう。ダニと南京虫との交流が必ずおまけでついてくる点で私は今回は遠慮しました。

2012年10月14日日曜日

スマイル0円

おおげさな装備で私があるいた登山ルートは、地元の人にとっては単なる生活道路に過ぎません。山頂アタックの日でさえ、日曜だったので、山の向こうの市場に買出しにいくという人々にどんどん追い抜かされていました。

ルート上では頻繁に道端やカーブの向こうに物売りの少年が突然現れます。我々の姿を尾根の向こうに見つけ、土産物を手にして待ち構えていたのでしょう。品物はこういう小さい箱から毛糸の帽子、牛の角で作ったショットグラスなど。接客?態度も控えめで遠くの村から来た、などと聞かされるとつい財布に手がのびるのです。

2012年10月13日土曜日

オラが村

まあ急峻な谷が限りなく続く山の中に1週間いたわけですが、エチオピアの山のすごいところはそのどこにでも人家があるって点です。

展望の開けたポイントで休憩して景色にひたっていても、絶対民家やトタン屋根が目に入ります。世界と隔絶しているような丘のてっぺんにも家と畑があったりします。マサイマラの人家と違って嫌な感じは決して受けません。

農業と放牧に適した豊かな土地が最初にあって、そこにずっと前からヒトが住みつき生活を営み、20世紀に北米から輸入された国立公園という概念を借りたまではいいが居住者は追い出さなかった政府の優しさ。そういったものがごちゃまぜになって私の眼前に提示されただけだったのですから。

2012年10月12日金曜日

ひとつ屋根の下

エチオピアの中央部から北部にかけては3,000メートル級の山々が連なっていて、このあたりを「アフリカの屋根」とも呼ぶこともあります。大陸のちょうど中央の位置にもあたるし、植民地になったこともなく気位も高い国民性なので、アフリカをまとめるというイメージにも合致するのは単なる偶然でしょうか。
明確な身体的特徴を共有する(肌が黒っぽい)10億人余がひとつ屋根の下で仲良く暮らすことを理想とするのがAU(アフリカ連合)ならば、あんちゃん役は誰だろう。カダフィ大佐が最も近づいたけど殺されちゃったし。ウガンダ大統領も結構いい線いける。長女役はたまに発言が暴走するジンバブエがいいでしょう。ケニアは個性に欠ける、というのが私の意見です。

2012年10月11日木曜日

きまぐれサンセット



2連泊したギーチキャンプ(海抜3600m)の夕暮れも印象的でした。

ここに来るまでにひねってしまった右足を椅子の上に放り出してページを繰るオランダ人、そして彼の泊まる山小屋。

夕焼けと濃霧が一時にやってきた2日目のキャンプ場の空には羊をねぐらへと追う子供らの声がしばらく響くのでした。

2012年10月10日水曜日

エチオ的サンセット

エチオピアにいたのはたった10日間でしたが、夕焼けをじっくり見る機会が随分あったように思います。空気が澄んでいるしケニアよりは高緯度だから光線が斜めに入ってくる感じも好ましかったし、なにより自分の体調と周囲の自然との両方に耳を傾ける毎日だったので神経もいつもより研ぎ澄まされたんでしょう。
登山2日目のキャンプ場、青黒い空と羊飼い。あるいは最終日のキャンプ場。山小屋のスタッフと彼らの子供達の背を照らす最後の夕陽。どちらも忘れがたい色味です。

2012年10月9日火曜日

カナリア軍団

登山中にはかなりの数の小鳥を見かけました。こちらもその中の一羽でエチオピアの固有種だそうです。

今回は自分としては初めてなのですが、300mmのレンズとボディ(キャノン製、合計重量約2キロ)を登山中にずっとたすきがけして運びました。鳥を撮るには望遠としては不足なのですがこれ以上重いと嫌だなぁと正直思う半面、今回の同行者はもっと重いオリンパスをしかも2台携行しての登山だったのですごい人だなあと後ろ姿を見ながら思ったのでした。

2012年10月8日月曜日

狼(の餌)

お次はぐっと小さくなってネズミ様。登山4日目のキャンプサイト以降にずいぶん見かけるようになりました。地中に掘ったトンネルの中で暮らしているようでした。大きさはハムスターより一回り大きいくらい。

本音はこのネズミを主食にしているエチオピアオオカミを見たかったのですが残存個体数は50頭以下と聞いていたし、やっぱり見かけることはありませんでした。数年後には地球上からいなくなっているかもしれないこのイヌ科の動物を救うには観光化と政府主導による住民の教育しかないと私は思うのですが。

2012年10月7日日曜日

ハシブト市長

この巨大カラスはエチオピアとエリトリアの1200m以上の高地にしかいない点が希少です。いつもペアでキャンプ場の周りをうろうろしている点、愛らしいのですが鳴き声がひどすぎます。うがい中か二日酔いのおじさんみたいなのです。ガラッガラッって。
英名を直訳するとクチバシの太いカラスですが、日本にはちゃんとハシブトカラスという鳥がいるので、和名をなんて付けようか考え中であります。

2012年10月6日土曜日

羊が食事

この翼長2mを超えるハゲワシの仲間を見たいのなら2500m以上の山に登らないといけません。努力しなきゃ成功はない、と繰り返した中学の担任の言葉を初めて実感しました。

ラマーガイアー、独語で子羊を食う鷲の意、は英名ではヒゲハゲワシという情けない形容になりますが、飛翔中の姿は正に空の皇帝。しかも動物の大腿骨などを上空から落として砕き、中の骨髄や骨そのものも食べるという賢さも合わせ持ちます。
幸い登山中の私の頭の上に骨は降ってきませんでしたので今こうしてパソコンの前に向かうことができているわけです。

2012年10月5日金曜日

非暴力猿

登山中は何度もこのライオンのようなタテガミを持つゲラダ・ヒヒに会いました。

体は寒冷地に住むからでしょうか、ケニアの親戚よりも大きく、胸の赤い模様(地肌)が特徴的です。5センチ以上の立派な牙を持つ割に食性は完全に草食です。

撮影は容易ではありませんでした。というのも自然環境は生き物の性格まで規定するのでしょうか、エチオピア人と同じでこの猿もとってもシャイ。カメラを構えつつ近づくと逃げることはせずにくるっと背をこちらに向けてうつむいてしまうのです。人間に背を向け無防備な状態なのに悠々と地面の草を食む後ろ姿に私はこの国の懐の深さを覚えずにはいられませんでした。

笑ってる場合です

このゲラダヒヒですが、似たような猿の仲間よりも社会構造が複雑だそうです。声(言葉?)のバリエーションが27種類もあるとか。

お互いの上下関係を確認するため、日々の毛づくろいが欠かせないのはもちろん、時折写真のように「笑う」こともあるそうです。実際は笑うというよりは歯ぐきをむき出しにして牙を一瞬見せつける行動なのですが、これでお互いのコミュニケーションを図っているそうです。

日本では出っ歯ですとイジメの対象になりえますが、エチオピアに来るとパラダイム転換により人気者になれる可能性大です。

2012年10月4日木曜日

山の山羊(ヤギ)

自慢の角は1mに達することもあるというこの美しいエチオピア固有のヤギの名はワリア・アイベックス。体重120KG。

BBCのドキュメンタリーで存在は知っていたので登山中も探していたところ、5日目にようやく山腹にその姿を見つけました。体は家畜のヤギよりもがっしりして毛深く、おひげは立派。年老いて群れから離れて暮らす雄のようでもありました。自然、子供の頃に読んだシートン動物記の勇敢なヤギ(後で調べたらあちらは羊だったんですけど)を思い出したのです。

かつては全土で見られたものの乱獲によりその数は激減し、今では北部にある世界遺産の国立公園のさらに人間が近づかない急斜面でひっそり暮らしているそうです。まさに崖っぷちの絶滅危惧種なのでした。

2012年10月3日水曜日

アビシニアン、しかし猫ではなく

さてエチオピア。かつてのアビシニア。

今回の旅の目的のひとつには観光化の現状と将来性の調査もありました。結果から言うと全然OK!詳しくは次の機会に譲りますが。

彼の地で過ごした10日間のうち自然の中にいる時間が結構多かったので、エチオピア固有種も含めていろんな動物に会うことができました。
 体の大きい順に紹介しますとまずはこちらのブッシュバック。ケニアのそれより体が大きくて毛深くて首の下が白かったです。角は雄でも小さめ。パウエル、またはアビシニア種として別種になっているようです。登山1日目の夕方、標高3250mのキャンプ場に出現しました。


2012年10月2日火曜日

教師のスト

ちなみにエチオピアへ出発する前から全国の公立学校の教師が賃上げを求めてスト中だったのですが、戻ってきてもまだやってました。
 
結局、裕福ではない家庭の子供たちを人質にとった要求の大半は呑まれ、先生たちは先週ハッピーな笑顔とともに学び舎へ戻ってきました。信じがたいのは全国テストや終業式などが全て3週間後ろにずれこみます、という政府の発表です。おかしいと思う人、いないんでしょうかね。

2012年10月1日月曜日

8分咲き

先々週まで隣国のエチオピアへ行っておりました。

2週間ナイロビを留守にしてから戻ってみると、ジャカランダがそこかしこで咲き始めていました。ただナイロビセレナ沿いのバレー・ロードはまだまだ。ナイロビ駅周辺は全然咲いていませんでした。木によって咲く時期がずれるのがジャカランダの特徴でもあります。